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ここにいていいと思えたら、その親切は承認欲求ではないのかも。

承認欲求と他者貢献の違いが、
よくわからない。

どちらも、
自発的にやりたくてやっている。
やらなきゃという意識はない。

他者貢献は、誰もが持っている
人としての善意によるもの。
誰かの役に立てることは、喜び。
役に立たない自分を不甲斐なく思う。

それは、偽善ではないと信じている。 

対して、承認欲求は、
褒められたり、感謝がなければ、
ガッカリする。

とは言え、
された親切に対して、
感謝をしない人っているだろうか?

要らぬお節介だったとしても、
それを迷惑だと言える人は、少ない。 

行為に至った気持ちを汲み取り、
思いやりに対してお礼を述べることは、
当たり前に行われている。

なので、現状、親切にすれば、
もれなくお礼がついてきてしまう。

親切に対しては、
肯定的な反応しかないので、
ガッカリすることは稀だ。 

私の親切が承認欲求なら、
満たされまくっているだろう。

もしかしたら、
既に偽善者ホリックかも…

それは、嫌だな。
ヒューマンネイチャー以外の親切は、
迷惑か、相互依存か、利用されるか。

互いに気持ちのいい関係を、
距離感を保ちたい。

承認欲求のために、
読めない空気を伺って生きてゆくのは、
もう嫌だ。

変わりたい。

そもそも、なぜ、
私は承認欲求が高いのだろう?

自己肯定感が低いから。

なら、自己肯定感を高めたら、
承認欲求は薄れてゆくのだろう。

結局のところ、
自己肯定感のなさに行き着いてしまう。

自己受容できた気がしたのは、
去年の夏のこと。
まもなく一年が経つというのに、
自己肯定感は、低いままだ。

自己受容と、自己肯定感は別物なのだな。

そもそも、まだ自分の全てを
許せたわけでもない。

やっぱり、嫌いな自分はいる。

自分を嫌いになることは許せたと思う。
受け入れられないなら、そのままでいい。

ただ、認められない自分のことは、
無意識に拒否してしまう。

私はそんなことしない。
私はそんなバカじゃない。
私はそんな卑怯じゃない。
私はそんな意地の悪いことを考えない。
私はそんな心の狭い人間じゃない。

私はもっと素敵なはず。

なので、望まない自分を
拒否したり、ダメ出ししたり、
自己欺瞞で都合よく言い換えたりする。

なんで素敵じゃなきゃダメなんだろう。
どうして私ではダメなのだろう。

誰かがいいという
ルールやマナーや常識に囚われてしまうのは、
私の感覚ではダメだから。
ダメだった過去があるから。
自分の判断を信用できないから。
失敗したから。

失敗したことがあるから、なのにね。
全部が失敗したみたいに思っている?

人間関係は、そうかも…
明るく振舞っているけれど、未だに人は怖い。
距離を置いてしまう。挨拶程度が精一杯だ。

明るく振る舞わなきゃいいのかな?
でも、感じ悪いのは、嫌だしな。

こうやって右往左往して、また失敗する。
そんな自分でもいいと思たら、いいのに。

なんで、失敗したり、悩んだり、
サクッと生きられない自分は嫌なんだろう。

そもそも、私は、
他人への配慮が足りないタイプだった。
自己中心的で、女王さま気質。
独断と偏見しかないから、
決断に迷うことなんかなかった。
好きなものと嫌いなものは、
瞬時に判断できた。

そんな社会性のない私が、
社会の底辺で揉まれ続け、
自分の判断や基準を
おかしいと思うようになった。

別に社会で認められなくても、
自分以外で生きることなんかできないのに。

私を認められないのは、
相手も満たされないなにかを抱えているから。
偏っているのは、お互い様なのに。

自己信頼のある人は、
他者を否定したりしない。
どれだけ相手が変わっていても、
面倒くさいと思っても、
存在を拒否したりしない。

好き嫌いとは別に、
相手の存在を認めているから、
仕事のやりとりもスムーズだ。

トラブルが起きにくいのは、
どんな相手でも、
存在を許しているから。
相手を信頼しているから。
なにより、期待していないから。
支配したり、操作しようとしないから。

人間性に対する信頼は、
自分への信頼があるから。

自分が存在することへの無条件の承認。

承認欲求が高まってしまうのは、その逆。
自信がなくなった時。

自分がここにいていいとは思えない時。
不安。疑惑。
自分への怒りや哀しみもありそう。

自分と世界をマッチさせようとすること。
それが、承認欲求。

なら、
自分がここにいるのは当たり前。
そう思えている時の親切は、
他者貢献なのだろう。

居心地の悪さや場違いな印象なら、
承認欲求を満たそうとしているのかも。
不安だから、誰かに笑ってもらったり、
喜んでもらったりして、安心したいんだろうな。
ものすごくよくわかる。

私は、周りの人が笑っていてくれないと、
不安に思うのだね。
だから、人といると居心地が悪いのかな?

相手が笑っていないのは、
私のせいではないのにね。

これが、他人の課題に
首を突っ込んでいる状態?

あ。明るく振舞ってるから?
私は楽しくもないのに、
明るく挨拶しているのに、
なに、その態度?

苛々してるのか。本心では。

こっちは明るく振舞ってるんだから、
ちゃんと笑顔で応えてほしい。
それが、本音。

期待どころか、ほぼ強制じゃん。
圧強かっただろうな。
気づかなかった。自己欺瞞かな?

嫌なら、無理に明るくしなくてもいい。
礼儀正しくさえあればいい。

そうやって、気づいたところから、
変えて行くしかないのだろう。

そうやって、変わってゆきたい。

世界とマッチしていないと感じたら、
誰かに親切にする前に、
自分の不安をケアしよう。

ここにいていいと感じるのなら、
思いついたらやってみよう。

気持ちのいい親切と挨拶ができたらいいね。

 fumori 



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