
ただ見つめることが愛だなんて、思ってもみなかった。
愛がなんなのかわからないけれど、
愛かもしれない眼差しに出会った。
愛とは、相手を見ること。
人といる時の私は、
相手のことを考えるのに忙しい。
相手と私のためと思っていたけれど、
この人はどう反応するか?
どう対応するのが正解か?
を必死で考えていただけで、
自分のためだった。
相手のことなんか考えていなかった。
こんなにも痛い思いをしなければ、
気づけなかった。
私がいるから、人のことを想えない。
肥大した自我は、私以外を受け付けない。
私の思う通りを希望する。
それが、無自覚のコントロールとして働く。
だから、拒絶される。
だから、いつまで経っても寂しいまま。
私は、相手のことを考えているのに、
誰にも相手にしてはもらえない。
相手のことを考えているつもりで、
自分のことを考えているから。
他者は、私を愛さないし、
私も私を愛せない。
私を愛することができるのは、
愛という存在そのものくらいなもの。
愛は、思考を、自我を超越する。
私がどんな人間であろうとも、
愛は私を見つめてくれる。
変わらない眼差しで、
私から目を逸らすことなく。
それだけなんだけれど、
それだけで十分だと感じるもの。
私も愛を生きたい。
愛でありたい。
帰りのバスの中で、そう願った。
私の愛は、溢れている。
溢れすぎでパンパンに膨れ上がって、
その発露を求めている。
私の苦しみは、抑制された愛。
私の中にある愛を知らず、
その愛を表現する方法もわからない。
溢れ出すそれに押しつぶされて、
苦しかったんだ。
自分を解放するための表現を
ずっと求めてきたけれど、
アートや言語や物や技や
態度じゃなくてもいいんだ。
ただ、見つめるだけでよかったんだ。
家庭で培った価値観を、
社会で果たそうとして、失敗した。
社会に適合するために、
家庭での価値観を塗り替えようとしたけれど、
これも擬態で終わった。
交わればよかったのに、
ちょうどいい感じに溶けてしまえばよかったのに、
それができなかった。気持ちが悪くて。
正しい方を選ぶことに、必死だった。
正解がわからないから、怖くて仕方がなかった。
私には、愛がわからなかった。
情報としての愛しか知らなかったから、
自己愛と他者への思いやりとの間で、
迷走し続けた。
相反する価値観を一瞬で共存させる力。
ただ見つめることが愛だなんて、
思ってもみなかった。
fumori