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大切なのは、愛されることではなく、人が愛せない私をどう扱うか、なのかもしれない。

独りなら、平和でいられる。
人と会うと、それが乱れる。

自分でいられなくなるのは、
相手にとって望ましい対応を
演じようとするから。

あるべき姿にとらわれ、
言語活動がキャラを強化する。

自我に没頭し、我を忘れる。

人付き合いが苦手なのは、
あるべき姿にふさわしい会話を
強いているからかもしれない。

あるべき姿=なりたい自分=愛されたい欲(依存)
ふさわしい会話=嫌われたくない欲(恐怖)

独りが平和なのは、
誰からも愛される必要がなく、
嫌われる心配もないから。

私が人付き合いに望んでいるのは、
私を愛してほしい+嫌わないで欲しい
と言う欲なのだろう。

依存と恐怖に駆られる活動を
好きになれるはずもない。

世界が心の反映なら、愛して欲しいのは、
私が自分を愛していないからなのだろう。

嫌わないで欲しいのは
私が自分を嫌っているから。

なら、私が自分を愛して、好きでいればいい。
人から嫌われても、今ほど気にはしないだろう。

なのに、それができないのは、なぜ?

愛されなかった痛みがある。
嫌われた悲しみがある。

痛みと悲しみは、怒りとなって煮えたぎっている。
「私は悪くない!」と。

そして、そんな憎しみにとらわれた自分を
私は認められずにいる。

相手のせいにする私が悪い。
そう思い込もうとして、反発されている。
なぜ、私が悪いと思えないのか。
頑固な自我にうんざりしている。

けれど、どっちもどっちなのだ。

相手のせいにして、自分を守ろうとする自我と、
自分を曲げても愛を得たい欲。

そういう作用とか、働きがあるだけで、
正しくも間違ってもいない。
そもそも、私なんていないのだから。

いい悪いじゃなく、
愛されたかった私がいて、
それが恨むほど悲しいのは、
相手のことが大好きだったから。
それだけのこと。

認められないのは、許せないのは、それ。

私がどうとか、相手がこうのとかではなく、
行き場のない情念。プライド。

大好きな人に愛されなくて、
どうしたらいいかわからなかっただけ。

どうしたら愛してもらえるのか?
と言う欲にとらわれて、
愛されない自分を否定し、心が裂けた。

分断された欲と自我の対立が、
私の生きていた不条理な現実の正体。たぶん。

愛されなかった私を、
相手を否定することで守る自我。

愛されるために、
愛されない私には価値がないと見下す欲。

どちらの根底にも「私が愛されて当然」と
信じ込んでいるパワフルな私がいる。

傲慢。自信。プライド。
それらの源となる力。活力。

愛するよう強要し、
私を嫌う自由を奪っていることに気づかない。

裸の王女様は、とてもパワフル。

認めよう。

私は、私を愛さないその人を嫌いだった。
ということにしてきた。

けれど、本当は大好きだった。
恨まずにはいられないほど、愛していた。
私の全てを愛して欲しかった。

私は、その人の全てを愛せなかったけれど…??
都合よすぎて、ごめん。

大切なのは、その人に愛されることではなく、
その人が愛せない私を、私がどう扱うか、なのだろう。

相手が愛せない私とは、
相手が愛せない自分自身でもあるから。

社会的に表に出せないだけなのか、
許せない自分なのかはわからない。

どちらにせよ、それは相手の境界線。

ボーダーを超えている私を
相手が嫌うのは当たり前のことだけれど、
私が自分が嫌う理由にはならない。
相手に示さなければいいだけの事。

本音と建前は、自分を偽ることではなく、
互いの本音を守るためにあるのだな。

私が私を愛する限り、
相手を尊重することは、犠牲ではなくなる。

自分を偽る事は、優しさになる。

愛されない自分を私が愛することで、
世界は保たれるのかもしれない。

相手が私を嫌い、嫌われた自分を私が嫌う。
その選択は、世界にネガティブを2つ生み出す。

嫌われた自分を愛するなら、± 0になる。

そっか。

愛されている自分を愛して、
+2のポジティブを享受しているから、
− 2のネガティブに見舞われているのか。

愛されたら、肯定された喜びに浸るのではなく、
相手に感謝を示す。
+2のポジティブを分け合う。

嫌われたら、相手又は自分を嫌うのではなく、
嫌われた自分を愛することで、± 0にする。

人付き合いとは、
「どうしたら生み出された感情を
イーブンにできるのか?」
を考えるだけでいいのかもしれない。

嫌われて悲しいとか、
愛されなくて悔しいとか、
感情を情念に変えるのではなく、
悲しんでいる自分を愛し、
嬉しいと感じたら、相手と分かち合う。

人と会うと、何らかの感情が生まれる。
独りでいる平和や安定は、崩れる。

それは、当たり前のことなのだけれど、
私にとって、すこぶる不快なことなのだ。

保たれた安定に、
美を見出してしまう性質なのだろう。

バランスを取りたいのだね。
それこそが、私の正義なのだね。

ものすごく、納得した。

バランスを保ちたい。
それが、私の中にある最大の欲求だ。たぶん。
生き甲斐に近いものかもしれない。

自分を犠牲にすることなく、
相手を否定せず、イーブンでいたいだけなのね。

愛されたい欲や、嫌われた痛みに囚われていると、
そうなれないから、苦しんでいたのかな。

自我とか欲とかよりも、
正負のバランスを保つこと。
イーブンでいること。

人と関わることが、少しは気楽にできるかな?

fumori

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