感情は、結論なので、変わらない。
現実が過去からのギフトであるように、
感情は結論なので、一旦生じてしまったら、
どうにもならないもののような気がしている。
感情をよくないものとジャッジして、否定したり、変えようとしたり、押し込めることは、
いつかの未来の惨事となる。
私にとって抑圧された感情は、
時限爆弾そのものだ。
人に迷惑をかけず、自分の信頼を損なわないよう対処するだけで、人生が手一杯になってしまう。
人生がややこしくなっている原因の一つと思う。
感情をなんとかしなければ、と思っていたから。
解釈も変えようと努力してきた。
変えても変えても、ルールが増えるばかりで、思考がどんどん複雑化してきて、自分が何を考えているのかさえわからなくなった。
それもそのはず。
全部、逆だったから。
なぜ、感情に支配されてしまうのか?
感情という嵐の中にいるのに、
崖っぷちに立っているから。
明りの灯った暖かな家がなかったわけではなく、
屋外にいたら感情を浴びることができないから。
最初は、庭で遊んでいただけ。
それが、自転車で出かけられるようになり、
車で海にやって来るほど大人になったら、
旅をしているつもりが、迷子になっていた。
そんな感じ。
外は嵐なんだから、
避難が最優先なのにね。
帰る家がわからなくなったって、
嵐から逃れる場所は、一つじゃない。
暖かいと感じられる場所は、
生まれ育った家とは限らない。
心の中に、聖域があるかどうか。
自分でいられる場所。
全てが赦される場所。
自分を信じていれば、当たり前にあるのに、
自信が揺らいだ瞬間、消えてしまう。
安心できる場所がないから、解釈を間違え、感情もネガティブなままなんだよね。たぶん。
自分を信じられなくなったら、
新しい信念を抱く。
誰かの言葉や意思を信じる。
愛を体感する。
理を見出す。
なんでもいいから、信じられそうなものを探す。
たった一つでも、真実だと信じられるものを見つけることができたら、未来は変わる。
そっか。
欲しかったのは、感情を変える方法じゃない。
同じ現実を、今とは違う解釈をし、
違う感情を得られる未来だった。
信じることが、未来を変える。
なぜなら、
今とは、解釈を選択する時だから。
現実はギフト。
未来は導かれるもの。
今は、解釈と選択。
選択するために、私たちは解釈をする。
その結論が、感情。
なので、結論を変えることはできない。
望んでいない感情が生じたとしたら、
解釈が間違っているというだけのこと。
ただ、心の中に信じるものがないと、
解釈を変えることって難しい。
なぜなら、今の解釈に囚われるから。
解釈を変えたいなら、未来を信じること。
未来を信じれば、選択肢が変わる。
選択肢が増えれば、解釈の選択肢も増える。
これまでにない解釈を選択できるようになる。
結論を変えたいのなら、未来から逆算をする。
過去を振り返って原因を探っていたら、
経験した選択肢しか出てこない。
過去に迫られた選択と違うものを選ぶのことはできるけれど、私の場合、ポジティブな人生にはならなかった。
どの選択肢もネガティブな解釈がベースにあったから。
人生に行き詰まっているとしたら、
ステージでの経験がMAXなのだと思う。
何をやっても、望む未来には行かない。
現実は変わっているように見えても、
ループしているだけ。
ポジティブに慣れちゃったのかも。
経験したことのない出来事は、感動するけれど、2回目、3回目と繰り返すうちに、日常とさほど変わらなくなってくる。
飽きるほど味わえば、ポジティブな出来事も、ネガティブに変わってしまうのかもしれない。
経験したことのない未来が必要な時。
冒険に旅立つ合図だ。
選択するためには、未来を信じることが必要で、
信じるためには、恐れを凌ぐ勇気が必要で、
勇気は、今、自分の中にあるなにかを信じる力。
確証はないけれど、
信じると決めたことを信じきる自分であること。
信じると決めたことを信じて、
これまでとは違う未来を選んでみよう。
私が欲しい感情は未来にある。
今の解釈が、望む未来を選択する。
素直で、親切で、朗らかで、
ハッピーでパワフルな未来の私を信じてみよう。
fumori