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人生で最高の完成度を誇っているのが、今の私なのです。たぶん。

人の気持ちのわかる優しい人になりたかった。

言葉にならない想いを汲み取れるような
温かで深い情緒のある人に。

浅はかで、考えても勘違いばかりで、
人の気持ちを逆撫でするようなことばかり
言ったり、やってりしてしまう。
そんな自分が大嫌いだった。

今でも好ましいとは思えないけれど、
残念な話ではありますが、
それ以外の私は存在しないのでした。

努力で変われた所なんて、
理性が吹き飛べば、かき消える。

そのくらい、本性は根深い。

生まれながらの特性も、
不可欠な環境なら、伸ばすしかない。

必要がないから伸びなかったとしたら、
案外、恵まれた環境だったのかもしれない。

短慮なのは、考えなくても安全だったから。
周囲にいる人々が、優しかったから。
甘えられる環境にあったから。

はた迷惑な自分らしさを、
なんだかんだと言われつつも、
受け入れてもらって来たのかも。

もしかしたら、
気にするほど迷惑じゃなかっだとか?

今、振り返れば、記憶している過去とは、
随分とかけ離れて見える。

けれど、どちらも本当で、どちらも嘘。

記憶は、出来事と感情のデータ。
いくらだって、ドラマチックに仕上げられる。
いくらだって、何もないことにできる。

大切なのは、全ての経験が集約している、今。

人生は、生から死へ向かう一本のフィルムではなく、
過去は、振り返って見る一コマのシーンじゃない。

過去は、今に重なるレイヤー。
一コマの蓄積が、今。

何もしなくても、
1秒後には、完成度が上がってる。
明日になれば、1日分、上乗せされてる。

死ぬまで完成され続ける自我が、認識できる私。

なので、
人生で最高の完成度を誇っているのが、
今の私なのです。たぶん。

時系列で人生を捉えていたから、
いいことばかりのシーンを繋げて、
一本のフィルムを作ろうとした。

けれど、一コマが積み重なってゆくなら、
いいことばかりでは、コマの空白は埋まらない。

世界は、表と裏を巡る流れ。

巡りそのものが、命の在り方なので、
自我が求める幸せにとどまることは、たぶんできない。

いいことを善とするのも、嫌なことを悪とするのも、
楽しんでいるのも、文句を言っているのも、自我。

なので、自我は、悪気なく
ポジティブな感情で人生を満たそうとする。

お金持ちになりたいのも、
仕事ができる人になりたいのも、
新築の家に住みたいのも、
新車が欲しいのも、
高級な服を着てみたいのも、
全部、自我の幸せ。

無理なくできるなら楽しむのもいいけど、
自我を幸せにするために疲れ果てるほど頑張ってると、
今、生きている歓びみたいなものは、感じにくい。

どちらも選べる。
私たちは、思ってる以上に自由だ。

喜怒哀楽に溢れた物語。
フィルムとしての人生。

集約された過去のレイヤーの上に
映し出される一コマの自我。

どちらも、私の人生。

主人公感があるのは、断然、自我の物語。
生きている臨場感は半端ない。
楽しさも、苦しさも。

物語の重苦しさに疲れ果て、
トレースされた今の自分をみてみる。

なんか、思っていたほど酷くはなかった。
むしろ、頂上にいた。

誰かと比べさえしなければ、
現時点での私は、いつだって最高地点にいる。

完成度は上がり続けるし、
死ぬまで可能性は続いてゆく。

焦ることなかったのに。
他人にならなくても、よかったのに。

よい自分になろうとして、
自己否定なんかしなくたって、
ただ、一瞬を積み重ねてゆけば、
自然と私に還って行く。そうなってる。

悪い自分を隠したり、変えようとする前に、
よくないと思い込んだ比較で構築された世界観に気づく。

私以外になろうとしない。
私以外には、なれない。

私でよかった。

私の現実は、私が認識している世界。

捉え方の癖や偏りに気づけば、
認識できる現実は変わってゆく。

短慮ないせいで、失敗したり、
嫌なこともあったけれど、
今尚、短慮のままということは、
メリットもあるはず。

先ず、わかりやすい。

思ったことが顔に出るし、
嘘は、すぐにバレる。

陰謀とか画策できないから、敵にならない。
なったとしても勝てるから、懐柔しやすい。

お陰様で、手下キャラですが、
喋りが下手でも、敵認定されにくいのかな?

親切な人が多いのも、
そもそも期待されてないというか、
頑張るくせに、失敗しやすいから、
助けずにはいられない。

見てられないくらい、哀れなのかな?
無自覚ですけど。

もしかして、私のダメさが、
相手の善意を引き出してしまう、とか?

みんなが優しのか、私がダメなのかはさておき、
優しさに甘えるだけじゃなく、
優しさが育ってゆくといいな。

浅はかでも、空気が読めなくても、
人の気持ちを察することができなくても、
私なりの優しさなら表現できるはず。

憧れるような優しさは身に付かなくても、
私なりの優しさは、きっと養われる。

そんな期待から、このnoteを書いている。

期待ハズレが短慮な私の十八番ではあるけれど…

fumori

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