楽しいことに、意味はない。たぶん。
心の中で、小さな私が踊っている。
とんがり帽子に、ふわふわなツナギ。
お伽話の小人みたいな格好をした私が踊っている。
奇妙なダンス。ものすごく下手。
かっこ悪いったら、ありゃしない。
なんで踊ってるの?
恥ずかしくないの?
もっと練習したら?
もっと上手くなってからにしたら?
こちらとしては、踊りをやめさせたくてたまらない。
ヘンテコな踊りをしている私が、居た堪れない。
けれど、小さな私は、踊りながら答えるのだった。
「踊るって、なに?」
いやいやいや、今、踊ってるのよね?
ダンスしてるじゃん。
「ダンスなんて知らない」
「なんでこんなことしてるか、わかんない」
「でも、こうやってると、なんか楽しい」
「私は楽しいけど、見てるあなたは恥ずかしいんだね」
「踊ることが、嫌いなの?」
「上手くなるまで、踊らないの?」
「練習するのが、好きなの?」
好きなわけない。踊りたいよ。
でも、下手だと恥ずかしいから、練習するんだよ。
「好きじゃないのに、練習するの?」
「恥ずかしいから、踊らないの?」
「上手くなるまで、踊っちゃいけないの?」
仕方ないじゃん。
踊りたいんだから、練習するのは当たり前でしょう?
うん。あれ?
なら、いつになったら踊れるんだろう?
上手い下手は、比較だ。
上手く踊りたくて練習をする。
なら、誰かより上手ければ踊れるけれど、
私より上手い人が現れたら、踊れなくなってしまう。
そもそも、踊ることに許可なんて、必要でしたっけ?
恥ずかしいから、練習するの?
上手くなりたいのは、なんのため?
踊ることが楽しいから、
上手くなればもっと楽しく踊れるから、
練習するんしゃないの?
私、本当に踊ること、好きなんだっけ?
小さな私は、相変わらず踊っている。
下手なダンス。私には、そう見える。
本人は、体を動かしているだけらしい。
ダンスですらないその動きが楽しいから、
やっているのだと言う。
確かに。めちゃくちゃ楽しそう。
下手くそなのに、ウキウキ感が伝わってくる。
なんでだろう。
見ていられないほど恥ずかしかったのに、
今では、なんか微笑ましいぞ?
あれれ?
私は、踊れるようになりたいと思っていた。
あんな風に踊れたら、楽しいだろうと。
けれど、あんな風でなくても、
人から見たら奇妙でも、下手くそでも、
踊ることそのものが、楽しい。
それが、原点だったはず。
思い描いた通りに踊れなければ、楽めない。
いつから楽しむことを忘れてしまったのだろう。
思い描いた理想を、実現したい。
理想を叶えたい。体現したい。
確かに、夢が叶えば、
とてつもない充実感を味合わせてくれる。
浮かれるほど、ハッピー全開になれる。
けれど、頑張らなくたって、幸せだった。
下手くそなまま、踊っていればいい。
踊ることが好きなら、
優れていなくても、
劣っていることが恥ずかしくても、
やってる楽しさを凌ぐことはない。
それが、好きってことだったはずなんだ。
いつかの私が、選んだのだ。
好きなことをする楽しさより、
人から評価される喜びを。
思い描いた願望が実現する興奮を。
私は、意味なく、メリットなく、
人目を気にせず、好きなことをする楽しさを忘れてしまった。
それは、とても残念なこと。
けれど、ある意味、ご褒美とも言えなくはない。
これから好きなものに再会する
可能性が残されているから。
人からしたら、くだらないこと。
恥ずかしいこと。みっおもないこと。
信じられないこと。おかしなこと。
私の好きなことは、
彼女の奇妙なダンスみたいなもので、
とても人様に見せられるものではないし、
見せたところで評価されるものではないのだろう。
それで生計を立てるなんて、夢のまた夢。
そんなヘンテコな好きが、私の中にある。
私の知らない可能性が、まだまだ眠っている。
ザクザクと。
残された人生でやりたいことなんてない
と思っていたけれど、まだあるのかもしれない。
老後は今より楽しいかもしれない。
久々に、自分に期待しちゃうな。
fumori
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