
365本のnote。
『惑っております??』が、365本になっていた。
これが、366本目。
占いを使って、人生を変えよう
みたいなテーマで始めたものの、
「人に言えない愚痴マガジン」と化している
あれが、1日1note換算で、1年分。
大量のネガティブを撒き散らして、ごめんなさい。
ただ、志や内容を除けば、凄いことだ。
飽きっぽさなら、負ける気がしない私が、
365日分、綴り続けたのだから。
愚痴だけど。
圧倒的な自由を前に、
どこに進んだらよいかわからなくなった。
私がしたいと思っていたことは、
しなければならないことと、
したほうがよいこととだった。
今、振り返れば、あの時の自由は、
まだまだ制限だらけだったし、
未だに何がしたいかわからないし、
自由を持て余して制限をかけ直したりで、
望む未来には程遠い。
期待した現実ではないし、嫌なことも多々ある。
けれど、案外、今日が嫌じゃない。
過去の私は、がっかりするだろうか?
望み通りでも、想像以上でもない今の私と現実に。
お金持ちにはなれなかったし、
未来のビジョンはないけれど、
よりよくなるものと思っているし、
過去の自分に感謝しているし、
遠からず過去の全てを赦せる気がしている。
現実に大きな変化はないけれど、
あの時よりは、自分を誇らしいと思える。
何も成してないのに、だよ?
むしろ、マテリアルは劣化しているのに、だよ?
それより欲しかったものって、ある?
自分への誇りって、
今、生きている命の歓びとか、
命を生かす世界への感謝と似ている。
そんな気持ちを知らないまま
あやうく死ぬところだった。
そんな変化が、一年分のnoteに綴られている。
ほぼ愚痴まみれの主観だけれど。はい。
誰のためにも、何の役にも立たないけれど、
いつか読み返して、過去の自分を慈しめたらいいな。
苦しくて、当たり散らして、誰かのせいにして、
自分を責めて、逃げてばかりで、弱くて、卑怯な私を。
その時が来るまで、noteが続いていますように。
fumori