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noteを始めるときに考えていたこと。

自分を表現すること。
人生に挑戦すること。

あれから一年。
私は、変わることができたのだろうか?

人生は、さほど変わっていないように思う。
ちょこちょこチャレンジはしてきたけれど、失敗を物ともせず、という大掛かりなものはなかったし、状況としては悪化している。

仕事は決まらないし、
やりたいこともないし、
そもそも働きたくなんかない。
そりゃ、未来には不安しかないって…

うん。変わったね。

働きたくないなんて、
大人気ない本音を言えるようになった。

自分を補うために、
輝かしい未来を思い描くこともなくなった。

演じることが減り、少し生身に近づいた。

人様に披露できるような誇らしい自分ではないけれど、努力していい人を演じたところで、結果はさほど変わらない。どのみち嫌われるのだ。

誰かを嫌うというのは、趣味だもの。
人を嫌ってはいけないなんてルールを、全世界の人々が採用しているわけではない。私を含めて。

いくら世の常識だと言われようとも、自分で従うと決めなければ、ルールなんて適用されない。

価値観は従うかどうかの基準だが、私のものではない。他者の価値観や情報の寄せ集めだ。

私独自の価値観同様、私だって存在しない。
価値観によってオートマチックに立ち上る思考を私だと思っているけれど、それは頼りないアイデンティティを埋めるためのイリュージョン。

自分に満足できない。
自分を好きではない。
こんな自分ならいない方がまし。

過去のいつかにそう思ったことから、自分以外になろうとしてきた。けれど、自分以外も、自分そのものも、この世界には存在しなかった。
アクロイド殺しばりのオチでした。

私とは、今を刻む命と、それを納める肉体。
自分も他者も、それだけの存在なのだと思う。

とは言え、価値観はなくならないので、相変わらず腹は立つし、生きるのは面倒くさいままだ。

なら、そんな私で生きたらいい。

演じるのでもなく、
頑張ればなれるはずの未来の自分でもなく、
かつてはできた過去のイケてる自分でもない。

老い衰えて、アルツハイマーを疑いたくなるほどの物忘れと物覚えの悪さにうんざりしつつも、開き直っている今の自分。好きになんかなれない。
けれど、嫌いというわけでもない。

好き嫌いで選べる存在ではないから。
私が生きられるのは、こんな自分だけ。
しかも、この人生が最善らしい。残念ながら。

人生には嫌なこともあるし、全部の自分を好きになるには、価値観を全て捨て去るくらいぶっ飛ばなければならないのだが、それだと、現実を楽しむこともできなくなる。
なら、嫌な人生や自分や価値観に必要性を持たせるために、最高の意味付けをすればいい。

真実かどうかよりも、不幸や理不尽な現実を一旦、受け入れるための言い訳を作ってあげる方が、人生にとって有益だと思う。

事象も感情も、無視すればふてくされる。
どれほど不快でも、その不快に感じることさえ執着だと気づくまで、嫌な現実は続く。

執着は時を止めるのかもしれない。
命は常に今を刻んでいるのに、
固執した思考や感情は、過去に留まる。

だから、何度も繰り返すし、命と共に生きることができない。
今と共にあれば、命は生き続けることができるのに、執着するから死に近づくのかも。

だとしたら、未来には生しかなく、
死は過去からもたらされている。

ゴールであるはずの死は、過去からやって来る。

執着を手放して、今を生きていたら、病気になりにくく、長生きもするのかな?

どれだけ執着を捨てても、肉体があるかぎり、生には執着するか。
なら、死の間際になって、生きたいと願うほど、死に近づいてしまうってことになりそうだけれど…

それは、人生の最後に証明する問題かな。


私は、死を恐れていたけれど、それ以上に、生きることが怖かったのだと思う。

死の恐怖は想像でしかないけれど、生きることへの不安は、今の体験だから。
そんな不安の連続に耐えられなくなったのかもしれない。もう、楽になりたい。そう思った。

死ぬことができないのなら、生き方を変えたい。こんな人生なら、もういらない。

そこでやっと、心に風穴が空いた。

溜まりに溜まっていた執着もろとも天の川へダイレクトに吹き飛んだ。
穴の空いた心には、ハープみたいに弦が貼ってあって、現実に触れる度、音を立てている。
不協和音のこともあるけれど、ちゃんと心に響いている。

すっかり忘れていたけれど、私は、心ある人になりたかったんだった。
頭で考えて、空気を読もうとしては、読み違えてばかりで、そんな窮屈な生き方が嫌だった。

聞きたくないことを聞かないふりをするのではなく、素直に心を鳴らしつつ、思ったままを言い返すのでもなく、感情を昇華できる方法が知りたかったんだよね。

偽ることなく、生身で生きられる処世術。

お金も欲しいし、やりがいのある仕事も欲しいけれど、今、一番欲しいのは、世渡り上手で、心ある自分だ。

一年前のなりたい自分とは、違っている気がする。こうやって、少しづつ、命そのものを生きられるようになるといい。

誰かのためになるわけでもなく、
誰の目に触れるでもないけれど、
自己表現という場を与え続けてくれた
noteという存在に心から感謝します。

 fumori 




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