理由を考えてはいけない。
ネガティブな思想は、
ネガティブな現実を引き寄せる。
その理由が、わかった気がする。
自我は、辻褄合わせが大好きだ。
ふとしたことでも、疑問を抱けば、
納得しやすい答えを思いつく。
正解のない疑問でも、
いつかは答えに辿り着く。
知りたいと思っていたことを
忘れていたとしても。必ず。
それを、体感したことがある。
確信していることが、大前提。
ルール1。
納得できる答えが、真実とは限らない。
真実は、耳に痛いこともある。
心が耐えきれなければ、
悪気なく事実を捻じ曲げる。
保身や利害が原因だとしても、
全くなければ生きてはいけない。
生存に不可欠な欲求。
なので、
自己欺瞞は自分では見破ることができない。
認識できる現実が、書き換えられているから。
他人のことがよく見えるのは、
そんな保身フィルターがないから。
なら、自分が感じでいること、
思うことなんて、どれもこれも
自分にとって都合のいいことでしかない。
思い込んでいる自己像も、現実も、
真実ではない。
それが、ルール2。
なので、
自分のせいかもしれない…
自分がダメだったからでは?
としか思えなくても、
真実であるとは限らない。
ただ、
そうやって自分自身を疑ってしまうと、
それを裏付ける理由が返ってくる。
それが、ルールだから。
擁護しても、必ず論破される。
自我の傘下にある思考に、
理屈で勝つことはできないから。
最後には、納得するしかなくなり、
自分のせいとか、ダメとか思い込む。
自己嫌悪。自己否定。自己不信。
自尊心、崩壊。自尊感情、破壊。
はい。闇堕ち決定。
こうして、ネガティブな思想は、
メンタルのステータスを黒く染め上げ、
現実を生きる気力を奪ってゆく。
自分を信頼できなくなり、
自分を肯定できなくなり、
他人や現実を否定し始め、
生きにくい世界が出来上がってゆく。
こうして、ネガティブな思想は、
ネガティブな現実を引き寄せる訳です。
ネガティブな引き寄せを回避したいなら、
ルールを否定すればいい。
疑問を抱いても、答えなんか返ってこない。
自分が思っていることは、客観的な事実。
引き寄せなんて、なんの論拠のないオカルト。
逆に、それらを信じることで、
ポジティブな現実を引き寄せられる
のかもしれない。
ポジティブな現実を生きたいなら、
ポジティブな思想を持てばいい。
ダメかもしれないと疑いを持つから、
ダメな理由に責め立てられ、
自分をダメだと思い込む。
なら、自分はダメじゃない。
そんな結論にしたいなら、
ダメとは思わないこと?
NO。
やることなす事、全肯定してたら、
自己中モンスターと化してしまう。
実際に自分が悪い場合もある。
謙虚さは、大事。
なので、ダメと思ったら、
ルール2を思い出す。
自己像は、思い込み。
現実そのものが、見たいものしか見えない
のだから、自分のことなんて評価できない。
自己評価は、私が決める事じゃない。
ダメかもしれないし、
そうでないかもしれない。
肯定も否定もしなくなったら、
疑うのではなく、質問をする。
ダメな気持ちで一杯だけれど、
そんな今の状態でも、
ダメじゃない所はないかな?
大丈夫な所、ありませんか?
ネガティブ慣れしているから、
すぐに答えが返ってはこないけれど、
そういう質問って、心が喜ぶ気がする。
ほんわかする。軽くなる。
それだけで、現実はマシになる。
何も変わらなくても、少しはいい。
ポジティブな現実とまでは言えないけれど、
さっきよりはマシな現実にはなるみたい。
死にたいと思ったら、
今日、死にたくない理由を尋ねてみよう。
死なないことは確信しているけれど、
嫌な気分が少しは晴れるかもしれない。
ポジティブでなくても、マシな現実ならいいや。
fumori