寂しさを紛らわせるために、ネガティブな感情に執着していたのかもしれない。

心は常になにかを感じている。

それが、システムというか、働きというか、
感じるために存在しているものだから。

なのに、私には自分が今、
何を感じているかよくわからない。

激昂していたり、
悲しみに暮れていたり、
楽しくてはしゃいでいたり…
なら気づく。

逆に、強烈でわかりやすい感情以外、
よくわからない。

わからないから、
感じていないのだと思っていた。

けれど、心が空っぽになることはない。
必ず何かで満たされている。

そんな前提にしたら、
空っぽだと感じている状態が、
寂しさで満ちている状態だった。

私の心は、寂しさで満たされている。

親が望もうが、仕方なくだろうが、
私たちは勝手に生まれて、
死にたくないのに死んでゆく。

人間の生死に、
納得できる理由なんてない。

いいことをしても、
体いいいものを食べても、
運動したり、健康に留意しても、
必ず死んでしまう。

一時的には取り留める命もあるけれど、
助かる命なのか、
召されてしまう命なのか、
自分ではわからない。

自分が死ぬのか、
大切な人を見送るのか、
どちらも選べない。

人生は選択することしかできないのに、
肝心なところは選べない。
私の命は、委ねられている。

私の命は、私ではない。
私そのものが、存在しない。

どうにもならない虚しさ。
それを含んだ寂しさ。

私の心は、そんな感情で満ちている。

自覚は乏しいけれど、
私は相当に寂しい人間らしい。

何もなければ、
寂しさを感じ続けてしまう。

ネガティブなんてものじゃない。
寂しさがデフォルト。

他の感情を感じている時だけ、
寂しさを忘れられる。
けれど、限りがある。

紛らわせているだけで、
感情の波が収まれば、
慣れ親しんだ寂しさで満たされる。

どうしようもないこの寂しさを
なんとかするために生きている
のかもしれない。

なら、
怒りや不安や悲しみを生み出す
偏った認識にも、利はある。

むしろ、
寂しさを感じたくないなら、
ネガティブな感情で満たせばいい。

過去を振り返れば、手軽に生み出せる。
行動しなくても、心を乱すことは容易い。

もしかして、それが、
ネガティブな感情の効能なのでは?

労少なく、利は多い。
ポジティブな思い出は、長く持たない。
ネガティブな刺激は、次々に思考を生み出す。
いつまでだって、逃避し続けられる。

逃げ場のない寂しさから。

ネガティブな感情に執着してしまうのも、
寂しさから逃げたいからなのかも。

未来の不安は、どうしようもない。

わかっていても、失敗は怖い。
損はしたくないし、
できることなら、うまくやりたい。
成功して、影響力を持ちたい。
認められたい。
そうすれば、寂しくはなくなる。

なんてことはない。
ずっと寂しい。
忙しくしたり、誰かと一緒にいたり、
散財したらして、気を紛らせているだけ。

もしも、行動の理由が寂しさなら、
人を目気にしたり、
地位やお金を得ても、
虚しいままだろう。

寂しさは、別の感情で塗り替えるしかない。
常々、変わってゆく感情に気を配る。
執着したくなるネガティブな刺激に気づく。

寂しさから逃げるためだけなら、
ネガティブである必要はない。
むしろ、
執着を引き起こさない類の感情の方がいい。

長く依存できない感情。
つまりは、ポジティブ。

過去の楽しい記憶でもいいけれど、
たぶん、行動した方が手っ取り早い。

行動によって、現実と、
それに伴う感情が変化する。

いいことばかりではないけれど、
何もせず不安に依存するよりは
気分がいい。

思考が求めているのは、
寂しさを紛らわせることだけ。

なので、手段は選ぶ。
方向性も、前向きに。未来を選ぶ。
過去に逃げ込まない。
ネガティブに依存しない。

ネガティブな思いに囚われたら、
寂しさを疑ってみよう。

寂しさで満たされた状態が、
あまりにナチュラルで、
気づいていないかもしれないから。

寂しさから逃避するなら、
どんな感情でもいい。
ネガティブでなくてもいい。

ポジティブな感情が維持しにくいなら、
後悔ではなく、不安を選ぶ。

未来は、確定していない。
だから不安になるけれど、
それが求めている刺激になるし、
選ぶことによって、未知の現実を体験できる。
予期せぬ結果が寂しさを紛らわせる。

過去に依存せず、未来の不安と期待を選ぶ。

結果、気持ちが前向きになり、
行動量が増えて、現実的にも
成功しやすくなったりして。

 fumori 





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