ネガティブな時の本音は、たぶん、フェイク。
どうにも不安で仕方がない。
ふとしたことから、
悪い未来を思いついてしまい、
それが、なかなかにしぶとい。
不安は、未知。
未来の可能性は、不安とセット。
とは言え、
悪い可能性の全てに、怯えるわけではない。
ここまで不安になるのは、後悔しているから。
やっぱり、あの時、止めておけばよかった。
損得で選んだ決断を悔いて、
過去の自分を責めている。
可能性はあった。頭をよぎった。
だからこそ、余計に不安が募る。
責任は取りたくない。損はしたくない。
なんとかうまくいってほしい。
止まらない不安の火種は、後悔と自責。
責任回避の自己保身が、不安の炎を煽っている。
さて、どうしよう。
過去の選択を悔いると、不安になるのは、なぜ?
望まない現実が、怖い。
それは、当然だけれど、リスクは折込済みのはず。
命の危険とか、破産するとか、
そんなカイジ的な選択なら、パスしている。
最悪の事態になったとしても、
どうにかなる、なんとかできる。
そう思ったから、決断したはずなのに…
選択は、あの時の最善。
その確信を疑っている?
それが、不安の火種。
過去の決断。選択した自分。
過去を疑うことで、
自己信頼が揺らいで、
自己不信が高まった。
不安の正体は、自分への不信感。
なんだろう。なんか違う。
選択は、最善。
それは、信じられる。今でも。
なのに、なんでそれを疑う?
なんで、選んだ過去の自分が
責められなきゃならない?
ダメなら責任とればいいだけの話。
そのつもりで、選んで…
そのつもりだったけど、嫌になった?
やっぱりリスクを負うのが嫌になった、が本音。
が、通用しないし、そんな自分は赦せない。
だから、過去の自分のせいにして、
本音から目を背けようとしている、かな。
「自分は悪くない。選択を間違えただけ。
仕方ないよね、人間だもの」
で、終わらせようとしている。
姑息だし、あざといし、卑怯だしで、
自分を信じられない上に、
自分責めたって、責任とらされるし…
そして、不安になった。
うん。それかな。
責任取りたくないけど、
そんな人間にはなりたくない。
責任の取れる自分像は保ちたい。
自分を騙して、本音をすり替えてみたけど、
責任からは逃れられない。困った。
どうしよう。不安だ。
嫌でも、取るしかないよね。責任。
例え本音がわかっても、
私にどうにかできることではないから。
ごめんなさい。
そうならないよう祈ってるけど…
もしかして、今の不安は、
未来に影響するのかな?
過去の選択を疑うということは、
その時点で、思い描いていた未来を
否定することだから。
不安が大きくなると、叶うはずだった
未来の可能性が、目減りしたりして。
責任を取る覚悟によって、責任を取らなくても
いい未来に繋がっていたのなら、試された途端、
あっさりブレてたら、ダメじゃんね。
口ばっかかい!
嘘ついたんかい!
なら、こっちも約束反故にしちゃるわい!
なんて力が働いていたりして。
改めて、願っておこう。
未来を描き直してみよう。
都合のいい未来は、ウハウハでいい気分。
やっぱり、こっちがいい。
けれど、望まない未来は、コインの裏表。
一つを手に入れたいなら、
もう一つの可能性も覚悟しないとね。
それが、ルール。
責任は、取る。
逃げたり、言い訳したり、正当化したり、
誰かのせいにしたり、誤魔化したりしない。
責任を取りたくない本音も、否定しない。
思うようにいかなかったとしたら、
私の浅はかさが原因。
考えが足りないのは、いつものこと。
内心、なんとかなるとか思ってるから。
運がいいとか、周囲が優しいから、
なんとかなることが多いけどね。
もしかしたら、
責任を取りたくないというより、
賢くない自分を認めたくなかったのかも。
コンプレックスの中でも、
隠しておきたいものだから。
望むような賢さは得られなかったけれど、
生きるのに必要なだけはあるから、大丈夫。
私が認知できるものしか、この世界には映らない。
世界が私のレベルに合わせてくれている。
浅はかで、小心者で、無責任な自分を信じて。
そんな私が創った世界なら、取り返しのつかない
失敗なんか、そもそも選択肢にない。
どんな結果であれ、どうにかできる。
無敵状態だよ。
自分を守るために、過去を責めたり、
未来の可能性を疑ったりしないで。
本音を言いくるめようとしないで。
キッパリ裏切って、
赦されるまで、謝って。
妥協しないで。
否定しないで。
気持ちがいい方を選んで。
この世界を信じて。
浅はかで、飽きっぽくて、無責任で、
狡くて、姑息で、嫌なことからは逃げまくる。
そんな最低の自分に救われてきたことに、
気づいて。認めて。
ネガティブな時って、たぶん、
私の本音は、本音じゃない。
騙されるな。見破れ。
fumori