好き嫌いは、わがままじゃない。
仕事でミスをした。
大事には至らなかったし、
気にするほどのミスではない。
悪く言えば、いつものこと。
なのに、ふと気づくと、
そのことばかり思い返している。
ミスをした自分を責めては、
言い訳を並び立てて、
正当化しようと必死なんだもの。
さすがにおかしいと思うよ。
無意識に
自分を洗脳しようとしてるのかな。
いつもなら忘れるはずの些細なミスで、
なぜ、自分を責め続けているのだろう?
自分を責めることで、気を外らせて、
なにを隠しておきたいの?
なんでできない自分を認めたくないの?
どんな自分を恥じているの?
そう自分に問い続けてみたら、
すっかり空になったと思っていた
パンドラの箱から、出てきましたよ。
見たくない自分が…
できない自分を恥じる
ということは、
できない誰かを
見下しているんですよね。たぶん。
見下されることを恐れているから、
ミスしてはいけないと思っている。
なのに、ミスをする私。
見下されるのに、
なんでミスしちゃうんだよ!!
信じられない。
バカじゃないの?
本当の私なら、もっとやれるのに。
それが、エグい本音。
むしろ、イタい本音。
本当の自分なんて、
私の頭の中にしか存在しませんよ?
本当の私は、今日、ミスした自分です。
それが実力なので、またミスはするよ?
どうするの?
見下されてもいいの?
バカにされてもいいの?
ミスしたら、バカにしたじゃん。
見下してるよね?
私がそうしてるんだから、
他の人だって、そうするに決まってる。
嫌だよ。見下されたくないよ。
というやりとりが、
無意識の一瞬で交わされている。たぶん。
私って、最低だな。
まさか自分がミスした人を
見下す側の人間とはね。
それなのに、
人を対等に扱わない相手を
軽蔑してみたり。
人を見下しているのは、私じゃんね。
だから、
ミスをしたり、迷惑をかけたりして、
弱みを人に見せることが怖いのです。
私が嫌悪する相手の全てが、私です。
私は、人の悪口を聞くと、
心が塞ぐのどけれど、
それは、
私だって悪口を言いたいから。
悪口が楽しいんです。
けれど、
言ってはいけないと思っているから、
フラストレーションが貯まるのです。
感情的な人を冷めた目で見てしまうのも、
私自身に好き嫌いを禁じているから。
本当の私は、好き嫌いが激しいのよね。
理論とか理性なんて、
言い訳を考えるためのものでしょ?
これも、
ずっとなかったことにしてきたけど、
イライラしている時、
人のせいにするとスッキリするよね?
物事を冷静に見なければ。
私にも、原因の一端はある。
それはそうかもしれないけれど、
結局、どこかで溜まったストレスは、
どこかで発散させることになる。
お酒かもしれないし、
カラオケかもしれないし、
反撃しそうにない人かもしれない。
そういうこと。
ターゲットにされるのは、
舐められているから。
吐口にされると腹が立つのは、
私がやるとしたら、
目一杯だからというより、
相手を舐めている時だから。
人として、最低。
それが、私だ。
そして、人の本質でもある。
愛の世界がなかったら、
この世は地獄でしかない。
人の世は、
美しさと醜さで成り立っている。
美しいものや、美しい自分は
受け入れやすい。
反面、醜い事象や自分は、
見なくて済むなら見たくない。
私が美しい世界を願うから、
醜い現実を受け入れられないのかな。
それは、単なる好き嫌い。
美しい世界が好きだから、
醜い世界が嫌いなだけ。
ずっと醜い世界をも好きになろうとしてきた。
解釈を変えるためには、
価値観を変えたり、
手放せばいいと思っていたから。
全ての世界を愛することが、
幸せだと思っていたから。
でも、無理。
だって、人間なんだもの。
全てを愛する世界は、
人である私が生きられる場所ではない。
人のやらかす全てを赦し、
肯定する愛は、人間以外でなければ難しい。
たかが人である私が、
嫌いなものを好きになる必要なんてなかった。
好き嫌いが激しいことは、
わがままなんかじゃない。
誰かに押し付けるのでないなら、
好き嫌いはあっていい。
むしろ、嫌いを否定してるから、
何が好きかもわからなくなって
いるんじゃない?
我の強さだけなら、問題はない。
人の世界観を支配しようとしなければ。
たぶん。
そうであって欲しいです。
最低な私は、憎んでいる誰か。
私自身の醜さを赦せたら、
私の世界はどうなるんだろう。
fumori