憧れを恨みに変え、自分ではなく相手を責める理由。
誰も聞きたくないだろうけれど、
薄暗い腹の内を語らせて欲しい。
ある人が嫌いだ。
とは言え、嫌われたら困るので、
本音を言わずにいたら、
不満が溢れて、止まらなくなった。
さて、そもそも、どこが嫌いなんだろう?
そう問いかければ、
すかさず答えが返ってくる。
淀まなく、いくつでも、最もらしい理屈付きで。
でも、なんで嫌いなんだろう?
すると、一瞬、思考が止まる。
え、いいんですか?
好きも嫌いも、あの感情ですよ?
理性中からもなく、主観しかない
あいつの意見なんかを知りたいと?
いいなら、いいんですけど…
なんででしょうかね?
嫌われてもいいなら、本音ぶちまけて
二度と会わなければいいんですよね。
つまりは、嫌いなのに、嫌われたくない。
我慢して付き合うだけのメリットなりが
あるんでしょうね。
仕事のできる使える人とか、
情報通とか、人付き合いが上手いとか、
発想力がアーティスト並みとか、
明るくて誰にでも親切とか、
私と違って、誠実とか…
優秀なんですね、私より。
私にはない才能に溢れているから、
羨ましいんでしょうね。
けど、自分が劣ってるって
素直に認めたくないんですよ。
負けず嫌いなもので。
相手と自分を比較しやすいくせに、
努力をするのが嫌いだから、
妬ましいんですよね。
やればできるとか言ってみたり、
本気出したら凄いとか。
嫌いなのは、
そんな負け犬な自分なのかな。
何もせずに、羨ましがって、
妬んで、僻んで、拗ねている。
あの人を嫌いなのは、
憧れても手に入らない才能を
見せつけられるから。
相手にとったら、
知ったこっちゃないのかよ。
ただの感じ悪い人じゃん、私。
関わった方々、ごめんなさい。
そして、私よ。
私にはない才能があるからって、
相手を羨んではいけません…
なんて言わないよ。
羨ましいんだもん。
ああなりたいもん。
認めたくないけれど、
憧れてるし、尊敬してる。
努力するとかしないとかは、別の話。
それに比べて自分は…ってのもね。
比較するのも当然。
比べなきゃ、自分の個性もわからないから。
そうなんですよ。
天然の才能も、努力の結果も、
私より優れているものは、個性なのです。
相手にしかないものがあるなら、
私にしかない長所もあるんだよ。
パラメーターだもの。
比較すれば、どちらかに優劣がつく。
個体差はあるから、公平でもない。
この世界というシステムが理不尽なだけ。
あの人がいるから、
愛されなかったんじゃない。
私だって、与えられてはいたんだよね。たぶん。
なのに、愛されることを当然として、
相手の分まで欲しがった。
それが、憧れを妬みに変え、
自分ではなく、相手を嫌いになった理由。
不快な感情は、
この世界と自分とのギャップ。
自分の道理が通らない現実は、
私の世界のルールを破る。
世界の崩壊を食い止めようと
あらゆる手を尽くす。
不足感を埋めようとする。
刺激してくる対象を拒絶する。
他人を責め、自分から目を背ける。
不快なのは、
自己肯定感を脅かされているから。
自分を肯定してくれる快適な世界が
崩壊しそうなアラーム。
私の世界は、自己肯定感で作られている。
自己否定は、そんな肯定感なのコア。
核の自己否定を打ち消すために、
肯定を装った世界で、私は生きている。
創っては壊れてしまう脆弱な世界は、
現実に蔓延る真実というウィルスによって、
呆気なく崩壊する。
壊れない、否定し続けている自分が、
世界のコアであり、等身大の小さな世界。
小さくて、醜くて、硬くて、歪で、
とてつもなく個性的な世界だ。
愛されなくても、愛さなくても、いい世界。
fumori
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