見出し画像

貧しさの正体。

こうなったらいい
と思っているのに、叶わない現実を生きているとしたら、それが妥当な人生だと思っているから。

叶わない現実の方が、自分には相応しい。

なら、叶っていない願いは、囚われているサインでもある。

・楽して稼ぎたいのに、ままならないのは?

仕事とは我慢料。
楽することは、手抜き。
目一杯力を発揮するもの。
苦労するから価値がある。

・自分を喜ばせるために、お金を使えないのは?

仕事ができないので、そもそも稼ぎが悪い。
自分のために使うのは、無駄遣い。
贅沢するほどの価値が私にあるとは思えない。

・人といるのが苦痛なのは?

一緒にいる人に笑っていて欲しい。
私がなんとかしなければと思ってしまう。
やりたくもないのに、道化を演じている方が落ち着く。
居心地が悪いのは、自分でいられないから。
明るくて、活発なキャラを演じてしまう。
嫌われたくないから?
嫌われている自分に耐えられない、かな。

与えられるままに思い込んでいる価値観もあれば、経験から挫折して諦めたり、世の中こんなものだと知ったかぶりをしているだけのこともある。

それが正しいがどうかなんて、死んでみるまでわからないのに。
傷ついたプライドのフォローで、精一杯だった。
今もか。

人が苦手なのは、嫌われたくないから。
自分の存在を認めて欲しいから。
承認できない私の代わりに?

なら、私自身で認めてあげればいい。

と、思っていたのだけれど、認めるとかいうレベルの話ではないんだよね。多分。
承認なんて必要ないから。

自分は、存在するだけで価値がある。
そんなこと当たり前、と思っていたら、他者の思いは関係ないのだよ。

それでも、人から嫌われたら凹むけれど、耐えられないほど恐れてしまうのは、嫌われる自分には存在価値がないと思い込んでいるから。

命である限り、生きていていいに決まってる。
それが、結論。

お金を使えないのは、使えばなくなると思っているから。稼ぎが悪いという以前に、自分のものだと思うから、いつだって足りない。

そもそもお金は、私のものではない。
人を生かすために存在するもの。
それが、結論。

なのだけれど、その程度で意識が書き換えられるなら、苦労はしてないよね。

お金に執着したくなるのは、苦労して稼いでいるから。簡単には手放したくない。

だって、私の命を削って稼ぎ出したものだもの。

お金に対する価値が、苦労した分、費やした命の時間分、上乗せされる。
だから、もったいない。
気持ちよく支払えない。

いらない付加価値をつけて、使いにくくしている。これが、貧しさの正体。

お金がないから貧しいというより、もったいなくて使えないという心の貧さが、現実をケチくさくしてゆく。
生きるためのお金があっても、貧しい現実を生きることになる。

なら、苦労せず稼いでみたらいい。
収入は減っても、仕事は苦労するものだという先入観さえ覆せれば、楽に稼いだお金を、自分のために使えるかもしれない。
私を喜ばせ、誰かの懐を豊かにする。

お金を使うことは、無駄なんかじゃない。
私を喜ばすことは、贅沢なんかじゃない。

…ちょっとひっかかる。
贅沢に対する抵抗?

私を喜ばすことが贅沢なら、
この人生はなんなのさ?

命は、歓喜だ。
有限であり、死んでしまうものだから、生きることに全力でポジティブ。
命はいつだって、私の存在を肯定している。

だから、人生そのものが贅沢なのだ。

今日生きるだけなら十分な時間もお金も健康も与えられている。
いつかは失ってしまうかもしれないけれど、それは明日かもしれないけれど、今はちゃんと与えられている。
与えられている現実に、安心できること。

そうやって、今に満足してしまっていいのだろうか?

そっか。

私が求めていたのは、豊かさというより、贅沢だったのかもしれない。

与えられた豊かさを当然のものとして、無駄遣いするような人生を贅沢と呼ぶなら、まさに、贅沢な人生だ。

才能の一つも開花させることなく、ただ無駄に命を削り、過去を悔いたり、悩んだり、非生産的なことに時間を費やしている。
まさに無駄尽くしの贅沢三昧。

願っていたのは、贅沢な人生で、想像とは違うけれど、ちゃんと叶ってはいる。
無駄を満喫するだけの人生なのは、贅沢な定義が違っているからかもしれない。

できるなら、もうちょっとお金の贅沢もしたいな。心身ともに健康で、心も懐も潤沢な人生でありますように。

 fumori 

いいなと思ったら応援しよう!