失敗した私も、75点のうちの一人。
仕事で沢山、ミスをした。
細かなミスや、配慮できなかったことを
差し引いてみたら、75点だった。
つまり、25点のミスをした。
数値化してみると、たったの25点だ。
残りの75点は、必要なことをやっている。
自分に甘いとしたって、ミスは3割。
及第点を下回ったとは言え、頑張った。
それより、及第点って、なに?
なんで、8割以上を成功と見做してるの?
15点ミスしたって、自分を責めてるよね?
そもそも、人生に及第点なんてあるの?
及第点の自分なんていない。
今日の私がどれほどのミスをしても、
仮に、100点のミスをしたとしても、
逆に、100点満点でも、
今日の私が全てだ。
人は、点数じゃない。
今日を生きた自分がいるだけ。
生き延びた自分を責めて
私は何をしたいんだろう?
見たくない自分から目を逸らせてるために
人生を不幸にすることが、心からの願いなの?
保身は、オートマチックな機能。
無意識の思考のシステム。
人生に点数をつけるのも、
善悪、優劣をジャッジするのも思考。
無意識に任せていたら、
生き延びることはできても、
不幸にしか生きられない。
生き延びることは、幸せである。
けれど、
ただ生き延びるためだけに
消費するには過ぎるのかも。
私の人生は、
豊かで、贅沢なのだ。
それを感じられないほどに、
守られて生きている。
悪い出来事は他者のせいにして、
自分の中にある醜さを直視せず、
周囲に迷惑を振りまいて生きられるほど、
恵まれているのかもしれない。
15点のミスを悔いている場合じゃない。
15点のミスをフォローしてくれたのは、誰?
先ずは、周囲への感謝だよ。
それから、75点の自分に感謝して。
ミスはあったけれど、75点は出来てるよ?
15点ミスした私も、75点に含まれるよ?
毎日、100点じゃなくていい。
何点だとしても、それが今日の私。
無事、1日を生き延びてくれたなら、
それだけで、大したものだよ。
ありがたいことなのよ。
そして、
ミスは誰かに迷惑をかけてしまうけれど、
その人のお陰で現実は補填されている。
結果としては、プラマイ0。
迷惑をかけることは、
助けてもらえたことでもある。
周囲の援助に感謝するチャンスだよ。
助けてもらえる自分でいること。
助けられる自分でいようとすること。
ミスは、迷惑をかけてしまうけれど、
身の程を知り、謙虚でいるための保険。
私はすぐ調子に乗って、傲慢になるから。
仕事ができないから嫌われるのではなく、
傲慢だから嫌われるんだよ。たぶん。
迷惑をかけて申し訳ないと
自分を責めるのは、謙虚じゃなかった。
同情を引いて、
あわよくば慰めてもらいたいのかも。
迷惑をかけずにはいられないから、
やってあげられることを探すんだ。
自分がやれないことではなく、
相手が必要なことに目を向ける。
自己犠牲ではなく、
負担にならない程度に手を貸す。
相手を不快にさせないように気を使う前に、
自分が不快でないこと。
心に余裕がなければ、
人に手を貸す余力はないもの。
コミニュケーションの基本って、
自分に気を使うことなのかもしれない。
今の自分が何を感じているか。
好きだからやるのか?
嫌いでもやるのか?
やらずに逃げる手を考えるか?
現実は、常に選択を迫ってくる。
自分の本音に気づき、
その上で、選択をする。
本音にそうものばかりではないけれど、
嫌なことを、必要だからなんて言い聞かさず、
嫌なままやればいい。
好き嫌いをジャッジすることは、
わがままじゃない。
心の中はフリーダム。
本音を偽らずにいる。
好きだけで生きようとして、
嫌いの価値観を変えようとしてきたから、
好きなものが見えなくなっている。
本当の私が、どこにもいない。
やりたいこともわからなくなっている。
好き嫌いでジャッジする。
けれど、それを誰かに押し付けない。
その代わり、相手の機嫌を取らなくていい。
相手が不機嫌だとしても、
私のことを嫌いだとしても、
それは、相手の問題なのだ。
誰かに苛立ってしまう本当の理由が、
自分自身の醜さから
目を背ける欺瞞だったように。
もちろん、ミスした時は、
迷惑をかけた分、ちゃんと謝ろう。
迷惑をかけないように
心がけるだけではなく、
してあげられることを見つけよう。
それを心に刻んだら、
心を開いて、好き嫌いで生きてゆこう。
どんどんジャッジして、
好きなことを知って、選んで、体験しよう。
人生は、もっとシンプルでいい。
できなかったことに逃げ込まない。
今、できていることと、
やってもらったこと、
やってあげられることに目を向けて、
好き嫌いで生きてゆこう。
わがままじゃない。
これが、大人ならではの自由なのだよ。
たぶん。
fumori