自分が可愛いくせに、自分を愛せないのはなぜだろう。
私は自分のことを認められない。
最低な自分は2年前の夏に受け入れた。
それ以降に出現したクズな私も認めた。
自己受容に関しては、
そこそこできているつもりだったのに、
相変わらず、周りに敵はいるし、
理不尽な現実に出くわしたりもする。
おかしい。
明らかに、変なのだ。
自分を愛せるなら、
他人を責める必要なんてない。
理不尽な現実だって、
ムカつくと思うだけで、
スルーできるはず。
なのに、いちいち捕まって
右往左往している。
思考では、理解できるのに、
心が拒否しているというか、
心が勝手に反応してしまう。
反応しているのは、
相手にではなく、過去の感情。たぶん。
反応は、自我の保身。
自我が守っているのは、
愛されたかった私。
なので、自我は悪者ではない。
けど、自分可愛さの余りに、
現実を拒絶しすぎるもので、
とにかく生きづらい。
どうしたら、自我が守らなくても
大丈夫な自分になれるんだろう?
彼女は存在を証明したいだけ。
実在しないことに怯えている。
そこに触れてはダメ。
いない事にしてはいけない。
むしろ、彼女は味方に引き入れたい。
現実世界において、
彼女ほどパワフルな存在はいない。
自我は必要。
なら、守られて当然と思っている
愛されたい私が問題なのでは?
愛されたい私は、恐怖の象徴。
愛されないことにいつも怯えている。
愛のない世界を経験して、
怖くて、不安で仕方がない。
だから、自我に守らせている。
自分の主張を正当化するために、
他者の価値観を引っ張り出して、
私は愛されるべき存在なのだと主張する。
だから、あなたの世界を下さいな。
私を愛しているのなら、
あなたの世界を頂戴な。
ジャイアンなんだよね、昔の。
他者に認められることでしか、
自分を保てなかった。
私の中には、私の世界がなかった。
私の世界は、
他者の価値観で埋まっているから。
他者の感情でいっぱいだから。
他者の価値観で埋めておかないと、
寂しくて、怖くて、仕方がないから。
愛されたい私が、寂しくないように。
そういうことだった。
自分を愛せなかったのは、
私の中には、他者の価値観しかないから。
私の中にある価値観は、
全て他者のものだった。
愛されるために受け入れたもの。
私のものじゃないもの。
納得出来なくても、
愛されるメリットがあったから、
選んでいたもの。
自ら望んだ。無意識に。
当たり前だとも思っていた。
自分を愛せないのは、
そんな他者の価値観によって、
私自身が裁かれているから。
愛されるためには、
他者のルールに従わなくてはならないから。
愛されたいから、
相手のルールに従うということは、
私に愛して欲しいなら、
私のルールに従ってということ。
いや。凄まじいわ、私。
なんで結婚できたんだろう?
本当に謎でしかない。
自慢してごめんなさい。
幸せでごめんなさい。
愛されたい私は、
他者のルールに従うことで
愛を得ようとして来た。
媚びても愛なんて得られなかったけれど、
酷い目に遭うことは避けられたのかな。
現実の平穏と引き換えに、
心を犠牲にしたということ。
本来の自分を殺し続けていた。
それが、自分可愛さの正体。
なら、自分を愛するということは、その逆。
他者の価値観に従わないこと。
他人に愛されるために
自分をジャッジしないこと。
他人の価値観で自分を裁かないこと。
思ったまま、感じたまま、
どんな自分にも怯まない状態。
だって、感じてしまうのだから、
しょうがないでしょう?
感情に、いいも悪いもないでしょう?
社会的に罰せられるとしても、
それを表に出さない限りは、
内心の自由はほしょされている。
日本に住む限り誰でも。
人間なんて、一皮剥けば、獣ばかり。
それが、人間という生き物。
だからこそ、創造する。
今にないものを。
より良い世界を。
自分の存在を正当化するために。
後世の未来を、より良いものにするために。
人は利己的な生き物だけれど、
だからこそ、誰かの未来のために
なれるのかもしれない。
愛されたいから、
愛されない恐怖から逃れたいから、
他者のルールに従ってきたけれど、
今日でやめます。
私は、なんのルールにも縛られません。
私自身の信念にさえ、従いません。
今、感じたことが全てです。
それが、答えです。
現実は、最善の最適解です。
なんのジャッジもしません。
あるのは、好きか、嫌いか。
魂の求めに応じます。
それ以外、何もいらない。
それが自己愛だと思うのだけれど、
どうでしょう?
fumori
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