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嫌いな自分がいてもいいし、嫌いな自分のままでいい。

これは、物語です。

私の世界は、
神さまという概念を採用することになった。

存在するということにしただけなので、
特定の神仏ではないし、
どこの組織にも所属していない。

私の世界にだけ適用される
なんともご都合主義で素敵な存在です。

人間ではない完璧な神さまが存在する。

ということにしたら、不完全な私は、
人間なのだから赦されるのではないか?
という仮説です。
今のところ。

人間である私を赦したことによって、
人間である私以外の人も赦せるように…

なれば、よかったんだけどね。
やっぱり、嫌なものは嫌みたい。

それでも、現実が優先だと思ったのです。

戦うか、逃げるか。
私たちは、いつだって選べるのだから。

我慢するのは、
逃げる方がデメリットが大きいから。
私の場合は。

仕方がないと思って諦めていたけれど、
私が戦わないこと、逃げないこと、
我慢することを選んだから、
この現実になっているんだろう。

自分で選んだのに、
泣き言を言うのは、良くない。

そうなのだけれど、どうなのだろう?

自分でも不思議なのは、
相手の態度を責めない自分。

必死に相手の良いところを拾い上げて、
仕方がないという結論に導こうとしている。
無意識に、思考が。

もちろん、見ようとしなければ
目障りなところしか探さない私のこと。

良い面を見ようとするのは
いいことなのだけれど、
洗脳みたいに自分に言い聞かそうと
するのは、変じゃない?

何かを隠しておきたいのかも?

そうのんです。そうでした。

本音はね、嫌いどころじゃなかったのですよ。
侮蔑していたのです。相手を。

忙しいから仕方がない。
感情が抑えきれないから、仕方がない。
口は悪いけれど、悪い人じゃない。

そう思って、相手をいい人にして、
私が悪かったことにして、
内心、相手を見下していたのです。
怖いよ、私。

自分のそんなダークな感情に気付きたくなくて、
ずっと相手をいい人に仕立て上げようとしてたのか。
自分を下げてまで。

だから、納得できなかったのか。
激しいな、私。


ドロドロした情念が苦手だ。

けれど、私自身の中に相当に濃厚なそれがある。
火山みたいに噴火し続けている。

私はずっと怒っていたらしい。

相手を赦す赦さないではなく、
私自身への侮辱に、悪意に、
怒り狂っていたみたい。

それは、相手ではなく、
私を縛る何かに対して。

なんで、誰かの都合のために、
私が我慢しなければならないの??

誰かのために、
なぜ、私が苦しんでいるの?

私が採用している価値観は、
全て他人のものなのだ。
誰かにとって都合のいいもの。
私にとっては、都合の悪いもの。

平和とか安全とか、
私のためにもなる価値観はあるけれど、
それを守るという前提の様々な常識は
私自身にとって、どうなんだろうね?

私には、守りたくない何かがある。

それを、知られたくないから、隠している。
それは、私が最も嫌悪しているものだから。
ありえないとか、生きる価値なしくらいに
軽蔑している価値観。

彼と同じ。
意地悪なのだ。私は。

誰かを吐口にして、スッキリしたいんだ。

けれど、それを自分に許せないから、
言いたい放題の彼に対して、
どうしてもやり過ごすことができないのかな。

意地悪で、人を下に見て満足する。
愚痴や悪口だって言いたいし、
人を嫌いになりたいの。

なんで、ダメってことにしたんだろう?
誰かにとって都合のいい私になって、
なんで幸せになれるのよ??

変な洗脳にかかってたのかな?

私は自分を嫌いになりたくなかった。
つまり、嫌いな自分がいたわけだ。

彼女たちを葬って、
好かれるキャラで生きてきた。

まぁ、私が思う好かれそうなキャラは、
むしろ嫌われ続けていたけれど。

自分を好きにならなくてもいいのに。
嫌いなままでいいのに。

むしろ、好きな自分も、嫌いな自分も、
どっちもいる方が人として健全なのよ。

愛から見たら、
欲得の世界のルール通りなのだから。
いいも悪いもないんだけどね。

嫌いな自分がいて、好きな自分もいる。

その両方があるから、
欲の世界の対極に愛の世界が生まれる。

私は、自分を嫌いでいいのか。
嫌いな自分のままでいいんだ。
よかった。

もう少し生きられそう。

fumori

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