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もしかしたら、私を赦さない存在を、愛と呼ぶのかもしれない。

私は、こんなもんじゃない。
この程度では、終われない。

そんな思春期を引きずったままの人生だった。
けれど、いつかの時点で気づいてはいたはず。

うん。こんなもんだったわ、と。

またも自分と出会ってしまった。
何度目だろう。

これが本当に本当の自分だ。
毎回、そう思うのに、また現れる。
玉ねぎのように、むいてもむいても、また。

ありのままの自分は、好ましい自分とは真逆なタイプなので、その度にガッカリするし、認めたくないし、でも認めざるを得なくて、泣けてくる。

自己評価は低いくせに、
期待値だけが圧倒的に高くなってしまうのは、
過去に何もなしていないから、
未来で人生の帳尻を合わせたい。
何もない自分を埋め合わせたい。
といったところ。

負けの込んだギャンブラーみたいに。

過去に実績がないから、
未来に縋って生きてきた。
そのくせ成し得ない人生だったから、
可能性に執着するしかなくなった。

辛い現実が続く中、
それが、生きる理由になった。

それを、捨てられるわけがない。

平均寿命までは、あと数十年ある。
この程度の私を認めてしまったら、
もともと微量な生きる気力も瞬時に尽きる。
それが、怖かった。

けれど、ここ数年、朝になると死にたいと言われ続けた。恐れ、疑い、結局、本音だったと気づいても、尚、現実の私は全く死のうとはしないし、具体案を考えることすらしない。

あの声は本当に私のものなのか?

疑いたくなるほどに、
私の命は、迷いなく生きる一択だった。
それで、少し安心したのだと思う。

あれこれ思い悩むことが好きなだけで、
私は、自ら死を選ぶタイプではないのだろう。

そう信じられるようになったら、
生きる理由を手放していた。

そして、生きる理由がなくなっても、
私は今日も生きている。

私が抱いていた死の恐怖は、ままならない現実を生きるために殺してきた自分の亡霊と向き合うことだった。

気づいたら、嘘だとバレるから。
私は、その実、自己実現なんか望んではいない。
そこそこの人生で満足できるモブタイプだった。

それを、認めなければならなくなるから。

健康で、食うに困らない稼ぎがあって、足手まといにならない程度に仕事ができて、穏やかな人間関係と、たった一人でいいから私の理解者がいてくれたら、それだけで十分。
それだけ。その程度。

以前の私は、現実ではそれらが得られないから、夢で満たそうとしていたのだと思う。
そこに、生きる意義を置いて、辛い現実を乗り切ってきた。

逆だった。
欲しかったのは、快適な環境の方だった。

健康的な生活。
小さくても日々達成感が得られる仕事。
差異に目を向けるのではなく、認め合う環境。
たった一人の理解者。
それだけ。その程度。

夢を叶えたり、成功したり、
大きく社会に貢献できなくてもいい。

なにせ、楽に生きたい、が本願だもの。
大きな達成感なんかいらない。
楽に快適であればいい。

美味しいご飯と、
小さな充実感と、
暮らしに困らないお金と、
楽しみのためのお金と、
贅沢な時間と…

唯一の理解者。
それを他者に求められないことはわかっている。
私自身の中に存在することも。

理解することを、丸ごと許容すること、共感することだと思っていたから、気づかなかったのだけれど、私が願っていたのは、正面から向き合うこと。

なら、そんな一方的に優しい存在ではないはず。本音を言い合える間柄と言えば、聞こえはいいが、誰もが気を使って言えないことを率直に言えば、大概は喧嘩になる。

つまり、私の最大の理解者は、私にとっての敵。
私がよいと思って選んだ選択に対して、不快であることを主張し続ける。
過去から遡ってまで、攻め立てる。
一切の容赦なし。妥協も同情もしない。

私の判断は、間違っていた。
そう認めるまで、決して許してはくれない。

なぜなら、その選択は、損得を優先して、自分を偽るものだったから。

私の中では、嘘ではない。
現実的にメリットがあるから選んだはず。
なのに、絶対に許さない。
私をどこまでも追い詰める。

自分を偽ることを決して許さず、
私を不快だと断ずる意。

私の中にあるのに、
支配できない絶対的な存在。

私の中に君臨する大いなる敵。
それが、唯一の理解者。

私が求めるものは、いつも真逆だ。

ありのままの自分は、
自己実現なんか求めていないし、
理解者は、私を許してはくれない。
私を追い詰める敵だった。

けれど、
許さないのは、真の私を知っているから。
私自身でさえよくわからないのに、
その敵は見抜いているということ。

偽ったことをいつまでたっても許さないのは、
私自身を諦めないから。
見捨てないから。
見守っているから。

私自身が、諦めても、
あらゆる自分を殺し続けて、
誰もいなくなってしまったとしても、
私を責める声は止まなかった。

いつだって、私を断罪し続けた。
夢の中までも。

ネガティブな感性は、
理解者の存在を指し示すサイン。
まだ私を見捨ててはいないという啓示。

偽りを断罪し、赦さず、容赦せず、
妥協も同情もせず、執拗に追い立てて、
同時に見守り、決して見捨てない。

常に共にある存在。

もしかしたら、
それを愛と呼ぶのかもしれない。

 fumori 


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