どうやら長くて大きい境界線が好きらしい
こんばんは、海岸線の美術館 館長の髙橋窓太郎です。
藝大の建築科に在籍していた当時、さまざまな設計課題が出された。
夢いっぱいだった自分は、到底実現できないだろう案を作っていたのだが、今はそれも実現できると思っている。少なくとも一部は。
学生の頃からのことを振り返ると、自分は特に地球に存在する長くて大きいものが好きで、そこに手を加えたくなる性質だった。
長くて、大きい。
こう書くとバカみたいで、
なぜそのスケール感に惹かれるのかは分からないが、
おそらく都市や土地を横断する(断絶する)境界線に興味があった。
境界とは内と外を分ける存在だ。
内が狭い方で外が広い方。
でも、狭い方を外と捉えることができたなら、外は内になる。
と言った具合に実は捉え方でその形、面積、空間の意味も変化する。
「概念的な輪っかがあるとして、その中から線を跨がずに出るとしたらどうする?」という問いかけが、森博嗣の物語に出てくる。
その答えとして書かれていたのが、輪っかを広げていけばいつか地球の半分を超えて、今自分がいる場所が外になる。
という単純明快な答えだった。
高校生の時にそれを読んでなぜか今でも記憶に残っているのだから、
自分にとって大事な言葉なんだろう。
境界線とアジール的空間
境界線というが境界は線ではなく空間を孕む。
ということを意識したのは、当時の助手さんと話していた時から。
建築の図面で黒塗りで表現される壁の断面の中にも空間があって、
壁で分けられた両側の人から認識されない空間がそこにあれば、
それは内でも外でもない、第三の空間になる。
そして、その第三の空間は果てしなく自由だと気づいた。
自由な空間=アジール(聖域)と捉えると、
今の社会にはアジールが少なすぎる。
2年生の時に、設計課題でおばあちゃん、父、母、子供2人の5人の住む二世帯住宅を設計する課題があった。
設計する家の隣に寿司屋があり、それも含めての設計をせよとというものだった。普通に考えてみれば、家は家、寿司屋さんは寿司屋として独立して設計するが、家=内、寿司屋=外と捉えて、寿司屋の2階とバックヤードに子供たちの秘密の部屋を潜ませてアジールをつくった。
それぞれの子供の部屋のタンスの中から、壁と床を超えて密かにいける入り口を作る。設計段階では家族全員との個別面談を行い、秘密の部屋を秘密裏につくるという計画。家族に見せる図面では、寿司屋部分については触れずに進めるのでバレずにいけると踏んだ。
家と店の間に塀をめぐらせることで、寿司屋の2階とバックヤードは当然寿司屋が使っているだろうという内と外の錯覚を利用した。
おいおい考えると、見積もりの時点でバレそうだが。
という感じで、境界線をどう作るかということに興味を持って、色々な設計をしてきた。
これを機に、設計課題の規模を大きくなるにつれて、長くて大きいものに手を出していくことになった。
どんどん長く大きくなっていく境界線。
学部の卒業設計では、白金にある自然教育園の周囲を囲うブロック塀を壊したり壊さなかったりしながら、境界線を歪ませるような施設を設計をした。
当時近くに住んでいた時に、ここが自分の散歩コースになっていて、延々と続くコンクリート塀をいつも「キモいな」と思っていたので、設計敷地に選んだ。
コンクリート塀が周囲を囲み、自然教育園を外から見ると2m程度の高さの壁に断絶され向こう側にある自然との接点は均一化されていた。
設計では、まずコンクリート塀に穴を開けることで、向こう側にある自然教育園の領域に入れるようにした。その向こう側にある木々の配置や地形に沿って道をつくり、その道の森側にもう一つの柵(境界)を作る。2重の境界の中は、街であり森であるという場所性を持つようになる。
その道にさまざまな機能の持つプログラム(カフェ、展望台、蝶々ゲージ、ライブラリーなど)を入れ込み、街の人の生活と森を近づける。
既存のコンクリート塀を境界線として残したのは、どちらから側も見ることができない性質の空間=アジールを作りたかったから。ブロック塀があることで、街側から中で何が起きているかがわからないので、見られない=安心できる場所になる。
地域のお祭りの時には、コンクリート塀に穴が空いている部分が屋台になったり、ライブラリーの今月のおすすめ書籍が壁がくり抜かれた本棚に並ぶとか、残された境界と街が交わる接点をつくった。
と振り返って見ると、海岸線の美術館でも同じようなことをしていると気づく。まさか、その8 年後にもっと長くて大きい壁に出会うとは思わなかった。
海岸線の美術館の壁画がつくる境界線
壁画が描かれることによって、壁によって作られた境界線に空間、パースペクティブが与えられていく。
壁画は、向こう側にある風景そのままを描くのではなく(決してトリックアートではない)、アーティスト安井鷹之介が雄勝の風景を見たり、住民と話したり、雄勝の歴史を知ったりといった経験を元に描かれた。
それは今まで雄勝にはなかった、第三の風景であると思っている。そして、それを見た人にとってのその人だけのアジールになっていくのではないかと期待している。
今まで、防潮堤の壁面はまじまじと見る対象ではなかった。
壁画が描かれることによって防潮堤は見る対象となり、観るという機能を持った空間が生み出された。
昨年、震災時の避難先から雄勝町に帰れていない、元住民の方が壁画を見にきてくれた時、元々住んでいた浜にあった三本松の絵を見て涙を流してくれたことがあった。その方にとって、壁画の三本松の部分は過去と自分が繋がる風景で、アジールなのだと感じた。
そのように、リニアに長く続く壁画の部分部分でさまざまな人のアジールが生み出されていくことを期待しているし、それこそが僕がこの美術館を続けていく理由の一つでもある。
そして、壁画の前でこれから行なっていくお祭りや色々なイベントを通して、壁画を含む雄勝町のさまざまな場所・空間が豊かなアジールになっていくことを期待している。
続く