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大腸検査 顛末記 第3章

6月26日に手術日が決まった後、待っている間の2か月半はあまり心地のいいものではなかった。
入院の4,5日前から副鼻腔炎を起こしていて、頭が重かったので入院の前日24日にかかりつけの耳鼻咽喉科を受診して副鼻腔炎の薬をもらう。
手術前日に副鼻腔炎を起こしたことを悔やんでも仕方ない。フクビクエンは持病みたいなものだ。重い頭を抱えて、入院手続きを済せた。
病室に入ると、入院の段取りを説明された。今から食事はとれず、手術から2日目の28日の午後から食事が始まるとのこと。まる3日食事がとれなくなるということだ。
明日が手術日だが、明日の予定が立て込んでいて、手術を早い時間にするかもしれないので、朝6時からニフレックを2リットル飲んでもらいますと言われる。
(朝6時から~、まじかよ。)と心で思いながらも、軽く笑ってそうですかと答えて大人ぶる。正直、朝6時からニフレックを飲むのは気が重い。
病室に一人いても特にやることもなく、下剤3錠飲んで、消灯前に布団に入って早々に寝た。
翌朝、手術当日の朝6時きっかりに看護師さんが2リットルのニフレックを持ってやってきた。
副鼻腔炎のせいか、いまいちすっきりとしない。半分寝ぼけた状態で、ニフレックをコップ1杯飲む。なんとも不味い。ニフレックの不味さのせいか、ニフレックそのもののせいなのか、気分が悪くなる。
テレビの前に置かれた椅子に座って、「気持ち悪いなあ~」と思ったら、ガタガタガタと音がして、椅子から転げ落ちていた。自分の状況がわからなないまま、やばい感じがした。このままじゃまずいと朦朧としながら浴室にいき、トイレに座った。脂汗が全身から吹き出し、手が冷たくなっていた。手と首、額の背を拭いながら、自分に起きた状況を整理しながら、体調を落ち着かせた。
どうやら貧血を起こしたらしい。体調を落ち着かせている間も、時間が過ぎていく。2杯目のニフレックを飲まないといけない。ニフレックを紙コップに注いで、大きな息を吐く。意を決して2杯目のニフレックを飲み終えたときには、脂汗は引いていた。少しずつ体調も回復して、1時間ほどすると便意をもよおすようになった。

ニフレックが最後の2杯程度になったときに看護師さんに排便の状態を見てもらい、「大丈夫そうですね。」と言われた。「これ最後まで飲むんですか?」と聞いたら、笑顔で「飲んでください。」と言われる。まあ、そうだろうな。そう返事するよねと思いながら、頑張ってあと1杯飲んで、最後の1杯は罪悪感に苛まれながらトイレに流した。

ニフレックも飲み終わり、便も順調に流れて体調も回復してきたころに、先生がやってきた。
「今日はよろしくお願いします。体調は問題ありませんか?」
「はい、特に問題はありません。」貧血起こしましたなんて言って、中止になったら目も当てられない。

手術は1時から始まった。ベットに横になると、いろいろな機械に繋げられた。お尻を出して寝ていなければ、まるで改造されている仮面ライダーのようだ。5,6人くらいの方が手術室にいるようだった。これくらい大変なら医療費も自ずと高いよなあと納得した。

私はもともと脈拍が少なく、10年ほど前の健康診断の時には30台だったことがあったのだが、今回、手術を始める前から脈拍が40を切ってしまい、アラームがピコピコなる。「麻酔を打つから脈は一層遅くなるけど、大丈夫かしら。」などという看護師さんたちの懸念の声が聞こえていたのだが、それ以降は麻酔が聞いたようで覚えていない。

手術が終わった後、先生から摘出した腫瘍を見せてもらった。白いプラスチックの板に張り付けられていた腫瘍は萎んで小さく見えた。体から切り離された腫瘍は、どす黒い血に染まって、いかにも悪しきもの、忌まわしきものように見えた。

28日の午後から食事が出た。3日間は食べなかったが、それほど空腹は感じなかった。点滴のせいかもしれない。
退院の朝の食事は、残そうかと思ったくらいだった。3日食べなかったから、胃が小さくなったようだ。自宅に帰って体重計に乗ったら6日で4KG痩せていた。

さてさて、私の大腸検査顛末記は、これで終わりです。続編を書く日が来ないことを願っています。

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