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あまりマメじゃない私たち夫婦は、日常の喜びを1年間保存する。【つくり手であること】

自慢じゃないけど、さすがに今くらいの年齢まで生きてくると、自分がマメじゃないということが断言できます。
こだわるところは細部まで気になるのに、日記とか家計簿とか整理とか、そのほか一般的にはちゃんとするべきことがあまり上手にできない。それでも最低限すべきポイントはできるだけ落とさないように、いろんな帳尻を合わせながら、常に自分の快適な立ち位置を模索するのです。

できることなら朝起きてから夜寝るまで ”きちん"と生きたい、と思いつつも、常に「やりたいこと」と「やるべきこと」が、自分の「やれること」の容量を超えているので、今はもう無理はしないことを最大のモットーに、自分に掛けるタスクやルールは増やさないように心掛けています。

夫婦ふたり暮らしも同じです。家事は分担してますが、分担ルールも自然に出来上がったことの延長であり、できるだけ "誰が何をマストで"みたいなことは増やさないようにしようと話しています。

そんな二人が前提なので、それはそれはゆるいルールではあるのですが、なんとなく続けているのが「うれしごと入れ」です。

自愛とは、すなわち日々を愛でること

「うれしごと入れ」は、普段わたしと夫のデスクの間に置かれた、大きめのガラス容器。中には白のメモ用紙とペンが入っています。何か良いことがあった時にそれを書き留めて、たたんだメモを放り込み、1年間貯める。大晦日の夜にふたりでそれを一枚ずつ開けて、1年間の良いことだけを振り返る遊びです。

毎日を必死に生きているせいか、たった1年未満の出来事だというのにものすごい勢いで忘れています。そのため1枚のメモにもう一喜一憂。ほんの数ヶ月前の、それも自分に起きた出来事を、自分で書き留めたメモに、自分で笑って驚いて喜んで感動までするという自作の余興。大晦日もあまり特別なことはせずに静かに過ごす我が家において最大のエンタメかもしれません。

あぁこの日にこれがあって嬉しかったのか私は、と少し前の自分の人生を愛でる。年末という季節の高揚感もあって、自分に優しくなることがすごく精神的に大きな強さもたらしてくれるように感じるのです。これぞまさに自分を大切にする自愛の意味なのかもしれません。

きっと日々コツコツ日記をつけていれば、もっときれいに残しながら、別に年末でなくとも同じような喜びを味わえるのかもしれません。SNSに丁寧に記録している人もスクロールひとつで振り返られるでしょう。ただ今のところ私たちにとっては、この位アバウトで、程よくクローズドで、読み終えたら感謝の気持ちで手放すくらいが諸行無常でちょうどよく感じています。

2020年も大晦日が近づいてきました。

実はこの「うれしごと入れ」、2019年も2018年も休んでいたので、これを開く大晦日は2年ぶりです。休んでいた理由は義父母の他界や仕事の忙しさで、それもまた、ゆるい我が家だからこそ、ただ忘れるようにしていなかっただけ。そしてまた、久々にやるかと出したのが今年のあたまでした。

上のツイートを5月にした時は、まだ瓶の1/3も入ってなかったメモが、12月初めの今日はこのくらいに増えました。

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世界的パンデミックが起きた歴史的に激動の年でさえも、個人の単位で見ればちゃんと嬉しい出来事を歩んでいることがわかります。書き忘れていることもあるでしょうから、本当はもっとあったと思うんですが、ここでもしも、「1つももらさずに必ず書き留めること」なんていうルールをつくった途端きっと辞めちゃうでしょう(私は)。
このくらいが今の自分たちにはあっている、と見つけ出した形です。

今年も寒い大晦日に広げるのが楽しみです。

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