「あるもんで」は思っていた以上に奥深い。他者との比較をやめたいあなたへ【つくり手であること】
数年前、敬愛する料理家さんが「あるもんで」という概念を話してくれました。それも、ジャンルが異なるふたりの料理家さんから、ほぼ同時期にです。
お二人とも元にある考え方は共通しており、無駄をなくし、その時手元にある素材を活かし切って楽しむ、というコンセプトでした。
お二人のように大量に料理をするわけではないわたし個人も、その頃すでに「つくりたい料理を考えてから買い物に行く」というフェーズから「家にある素材で料理を考える」ようになっていたこともあり、強く共感しました。以来、毎日の料理でも、友人たちとの食事会や誰かに会うときのプチおやつでも、出来る限り手元にあるものを活かすことを大切にしています。
初めは「無駄を出さないため」にしていたことが、すぐに「過程に新しい発見や気づきがある」ことに気づき、その工夫やひらめきこそが充足感として心地良さに変わりました。
時に大胆に、「これとそれ、いっちゃう?まじで?」と自分で自分にツッコミながら組み合わせるのが楽しい。再現性は低くなりますが、それもまた楽しいのです。
料理だけじゃなかった
習慣になるほど続けてきたら、これは決して、買い物を贅沢な行動と捉えた話ではなく取捨選択のことだったと腹落ちしました。料理だけにとどまりまらず、暮らし全般に応用が効き、しいては生き方に広がっていく。
なぜなら、自分で考えているから。
これとこれとこれがある中でどれを使おうかな、と自分の意思で決めているからこそ、結果に責任がもてます。その前の経過でひやっとするハプニングがあってもなんとかしようと試みる。そもそも達成したい目的も高い解像度で理解しています。
たとえ選択した理由が「なんとなく」であっても、その気分の奥にある本心は自分でわかっているから、結果はそれなりに納得できる。どう転んだとしても誰かに転嫁する思いはありません。
自分で決めて自分でする。
それだけのことで、自分と他者の違いに思い詰める事も無くなっていきます。あの人と自分は違う、ただそれだけだということが、脳にも心にもしっかり溶け込んでいくのです。
新しい一年の始まりに、「あるもんで」仲間が増えることを願って。
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映画監督松井久子が編集長となり、生き方、暮し、アート、映画、表現等について4人のプロが書くコラムと、映画づくり、ライティング、YOGA等の…
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