憎しみを凌駕するちから。映画「過去負う者」がくれた問い
教育、政治、環境整備。
これは先日、「この世で変えたいものを3つ挙げよ」という問いに即答したわたしの答えだ。
この3つにおいて世界でも先進的なのが、北欧諸国。義務教育に政治や性教育、情報リテラシーまでが含まれ、未成年でも支持政党があり、女性が首相に選ばれて、息をするくらい当たり前の環境配慮。北欧では、普通に生活しているだけでわたしが願う社会課題が実現できるようデザインされている。正直に言えば、うらやましい。
そういえば、と前に読んだ、ある新聞記事を検索した。
コテージでの暮らし。周辺の森を散歩したり、畑仕事をしたり、訪ねてきた家族や恋人が泊まることもできるここは、ノルウェーの刑務所。死刑も終身刑もないこの国の再犯者率は20%前半だという(日本は50%)。
なぜこの記事を検索したのか。それは、ある映画を観たからだった。
映画『過去負う者』
観始めてからしばらく、ドキュメンタリー映画だと思っていた。いや、でも確か劇作品だと聞いたはず、と思い直す。でもこれ、なんか自分がこの場にいるくらいリアルじゃない?ドキュメンタリーだよね?いや違うんだった。と、脳内で数回繰り返した。
そのくらい緊迫感を感じさせる映画なのには、理由がある。
徹底的した取材を元にストーリーが作られ、適した俳優たちが揃い、それぞれに配役も決まっている。ただ、台本がない。俳優たちは与えられたキャラクターを演じるために、監督が描いているイメージと合わせながら、自分自身の中にある言葉をセリフのように紡ぎ出す。でもそれはセリフではなく、紛れもない個人の言葉。この手法を「オーセンティック・ウィル」(確かに存在する意志)と呼んで実践するのが、本作の舩橋 淳(ふなはしあつし)監督だ。
監督は前作『ある職場』でも同じ手法を実践していたが、本作ではさらに俳優陣の演技力と憑依性が際立っているように感じた。罪を犯した人を描いた映画はたくさんあるものの、顔を隠し声を変えた「ドキュメンタリー」ではなく、考え抜かれたセリフと展開による「ドラマ」でもない。両方の良い側面を1本の作品で見せる監督の挑戦に敬意を抱く。
映画『過去負う者』は問いかける。
自分はぜったいに犯罪を犯さないと言い切れるか。
家族や友達が罪を犯したら、どうするだろうか。
刑期を終えた人が隣に引越してきたらどうだろう。
法を犯したら、もう二度と社会復帰は許されないのか。
罪とは、何だろうか。
先ほどのコテージの刑務所があるノルウェーでも、再犯者率が6割を超えていた時代があった。しかし法を犯した者を「適切な教育が必要な人」と捉え直したことが今につながっている。懲罰や反省を強いるのをやめ、代わりに自己を見つめる再教育を与える。現在の再犯者率20%は、ノルウェー国民たちが考えて議論を重ね、時間を掛けて叶えたものに他ならない。
民主的で素晴らしい。うらやましい。北欧の事例に触れると正直な気持ちが声に出る。もちろん北欧だって完璧ではないが、国が違うだけで人間としての精神的な成熟が日毎に引き離されるような気がして、悔しさを隠せなくなる。
ならばわたしたちも、考えるところから始めなくてはいけない。ヒュッゲやフィーカを真似ている場合ではない。どんな社会を望むのか、と自問することが先ではないか。
映画『過去負う者』は強烈な問いで、お前はどうだ、と問いかける。