人間の大腿骨でできた笛

人間の骨で楽器をつくる・・・
そう言ったら気違いだと思われてしまうでしょうか。

しかしそんなサイコパスじみた楽器が実在します。
カンリンという、人間の大腿骨でできた笛です。

画像1

(画像出典:https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc6/edc_new/html/553_kanrin.html)


私がカンリンと出会ったのは、芸大の小泉文夫記念資料室に行ったときでした。
この資料室は小規模な楽器博物館でもあり、世界中の楽器を実際に手に取って見たり試奏したりすることができます(*1)。
芸大に通っていたころ授業で楽器をスケッチで記録することになり、そのとき私が選んだのがこの大腿骨の笛、カンリンだったのです。


実際に手にとってみると、ずっしりとした重さを感じました。
そして骨独特のヒンヤリ感。
これも元は誰か人間の体だったんだよな、と思うとぞくりとします。


試奏の許可をとり、実際に吹いてみました。
吹口には金属のカバーがついており、金管楽器のマウスピースのように息を吹き込みます。

ぶおお~

鈍い音が響きます。

カンリンはリコーダーなどのようにドレミ…と異なる高さの音を出すことはできません。
ただ、ぶおお~、です。

そして重いので、持っている腕が疲れます。
もちろん私の技術不足はあるのですが、だとしても特段良い音が出そうもないし楽器として実用的ではない、というのが私の「骨楽器」への最初の評価でした。


では、この楽器はどのような場で使われるのでしょうか。
そもそも素材である「人間の大腿骨」は、どうやって「調達」されているのでしょうか。

実は、厳密に言うとカンリンは単なる楽器ではありません。チベット仏教の儀礼で用いられる法具の1つです。

カンリンに使われる骨は罪人の骨だと言われています。
チベット仏教では、善人は死ぬと悪の部分が骨に残り、悪人は死ぬと善の部分が骨に残るとされ、
罪人の骨を吹くことで、善の部分を風にのせる、という意味があるそうです。

つまり、「カンリンを吹く」ことは
音を出す以上の意味を持っています。
それは罪の浄化プロセスでもあり、
人間の生と死、善と悪をもその音は運ぶのです。


楽器の歴史は
いかに魅力的な音を出すか、いかに音で人びとを楽しませるか、
を追究した歴史でもありました。

ストラディヴァリのヴァイオリンがなぜ億の値がつく名器かといえば、
第一にその音がとても「美しい」からです。

しかし音楽の場は必ずしも「美しい」「楽しい」だけではありません。

キリスト教の教会ミサにオルガンが欠かせないように、世界中のどの宗教や信仰実践にも、必ずそこに楽器があり歌があります。
人間は、ときに人知を超えた何か、あるいは生を越えた死の世界へとアクセスすることに音楽を用いてきました。


人間の骨を楽器に使う。

そのある種のタブーを犯すようなチベットのカンリンは、
わたしたちと音楽との関わりが、単に音の楽しさにのみ向いているわけではないこと、
音の向こうと結びつこうとする、その深さをもった営みであることを
教えてくれます。

わたしたちがある楽器を手にしたとき、
それは単にモノという物質をつかんだのではありません。

カンリンを持ったときに感じた
あの骨独特の密度ある重さと冷たさの感触は、
その楽器のもつ「意味」をまとって、わたしの手から消えません。

*****
(*1)
東京藝術大学小泉文夫記念資料室は、通常1週間前までの予約で学外の方も利用できます。しかし2020年8月現在、新型コロナウイルスの影響で学内者も含めた東京芸大への入構制限があるため入室できないようです。詳しくは公式HPをご覧ください。

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