既読無視したっていいじゃないか
こないだ、とても嫌な夢を見た。
LINEの話。
普段、通知画面でメッセージの内容を確認して
すぐに返信できそうな内容であれば既読を付けて返信。
そうでなければリマインドの意味も込めて
確認済みではあるけど「未読」のままにしておく。
いつもそうやってLINEを使っていた。
その日見た夢では、そのLINEの仕様が変わっていた。
通知画面で確認していることをiPhoneが認識したら
即座に既読マークが付いてしまう、という
未読無視防止の機能が実装されたという夢だった。
これに私は非常に焦っていた。
既読を付けるつもりなく確認した文章に
すぐに既読がついてしまい、
「やばいやばい!!!!既読つけちゃったから早く返信しないとやばい!!!!!」
とゼエゼエ言いながら焦っていた。
そして目が覚めた。
とても嫌な目覚めだった。
その日、私はその夢のことをずっと考えていた。
「既読」の持つ意味が
「読んだよ」じゃなくて
「既読つけたよ」になったのは
いつからなのだろうか。
なぜ夢の中の私は、
既読を付けてしまったことに
あれほど異様に焦りを感じていたのか。
便利なはずの機能が、いつの間にか私たちにプレッシャーを与え、
時には人間関係に小さなヒビを入れてしまう。
今や日常に溶け込んでいるLINEの既読機能だが、
そもそもなぜ生まれ、
どうしてこうなってしまったのだろうか。
◾️便利さのはずが、心の重荷に
LINEが登場したのは2011年。東日本大震災の直後。
コミュニケーション手段として誕生したこのアプリは、
電話やメールに代わる「すぐに届く、すぐに読める」という手軽さで、
あっという間に人々の日常に浸透した。
「既読」機能もその一つだ。
メッセージが読まれたかどうかが分かることで、
相手とのやり取りがスムーズになる。
送る側は、「ちゃんと届いたんだ」と安心できるし、
受け取る側も「読んだことは伝わっているのだから、すぐに返さなくてもいいや」と心の余裕が生まれるはずだった。
だが、実際はどうだろうか。
「既読」がついたのに返事が来ないと、途端に心がざわつく。
「何か気に障ることを書いたのか?」
「忙しいのかな?それとも無視されてる?」
という余計な憶測が、次々と頭の中を駆け巡る。
逆に、受け取った側も
「既読をつけたからには、すぐに返信しなければならない」
という強迫観念に駆られることもある。
この「既読」の存在は、誰もが一度は感じたことのある、
言葉にできない“心の重荷”なのだ。
◾️本来の目的から離れていく現象
こうした現象は、社会心理学で
「意図せざる結果の法則」として説明される。
何かの仕組みや技術が導入されたとき、
当初の目的や意図とは異なる副作用や予期しない結果が生じてしまうのだ。
その代表例が、アルフレッド・ノーベルのダイナマイト発明だろう。
ノーベルは、土木工事や採掘を効率化するためにダイナマイトを発明した。
しかし、その強力な破壊力が戦争や暴力に利用され、
多くの命を奪う結果となってしまった。
「便利さを提供するつもりだったのに、思わぬ形で利用されてしまった」。
これこそ、技術が持つ二面性であり、
現代の「LINEの既読機能」もまた、その一例と言えるだろう。
“既読”を超えて──見えないコミュニケーションの余白
もし、LINEの既読機能が
単純な「読んだ」「読んでいない」の二元論ではなく、
もう少し柔軟な形だったらどうだろうか。
例えば、
「未読」
「通知画面で確認済み」
「トークを開いて既読」
といった3段階のステータスがあれば、
心理的プレッシャーは少し和らぐかもしれない。
実際、iPhoneのFace IDや視線検知技術を活用すれば、
私が見た夢のように、
通知画面で確認したことは検出できるはずだ。
もちろん、それでも抜け道は編み出されるだろう。
「通知画面を見ない方法」や「機内モードを使って読む」など、
私たちは新たな形で“既読”の圧力から逃れようとするはずだ。
そう、結局のところ問題は
「既読機能」そのものではなく、
それに囚われてしまう私たちの意識なのだ。
◾️メタ認知的な視点を持つこと
私たちに必要なのは、メタ認知的な視点だ。
つまり、「既読」という機能をどう解釈し、
どう向き合うかを客観的に見つめる視点である。
「既読がついたのに返事が来ない」
その事実を見て、どう感じるかは自由だ。
しかし、そこで立ち止まって考えてみる。
「相手はただ忙しいだけかもしれない」
「メッセージの内容がすぐに返信を必要としなかったのかも」
そんな柔軟な解釈ができれば、既読機能が生むストレスはぐっと減るだろう。
そして実際のところ、それは私たちのコントロールの範囲外にあるのだから
気にしたって仕方ないのだ。
一方で、私たち自身も
「すぐに返信しなければ」と焦る必要はない。
「忙しいときは後で返す」
「短いスタンプだけでも返事になる」
「そもそも」に立ち返って
LINEを使いたい。
便利さをどう使うかは、私たち次第
ダイナマイトの発明からノーベル賞の設立まで、
ノーベルは自分の発明が持つ“負の側面”を受け入れ、
それを別の形で償おうとした。
そしてLINEの既読機能もまた、私たちがその本質を理解し、
どう使うかを主体的に考えなければならない段階に来ているのではないだろうか。
便利な機能に振り回されるのではなく、
その機能を「自分なりにどう使うか」を考える
──これが私たちに求められているメタ思考的な姿勢だと思う。
次にLINEで「既読」がついたとき、
少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。
「これはただの通知だ」と。
そこに過剰な意味を持たせず、余白のあるコミュニケーションを大切にしよう。
「既読スルー」なんて言葉に縛られず、自分のペースで、心地よいコミュニケーションを育てていけたらいい。
そんな日常の中での小さな意識の変化が、きっと私たちの心を少し軽くしてくれるはずだ。