忘れられない2年間だった

3月もそろそろ半ばに近づきましたねー。
3月といえば新たな旅立ちの季節。それぞれの世代で(特に10代)悲喜こもごもあるよね。
だからなのか、最近、とみに自分の過去をふと思い出すことがあります。

まあ、私の流転の半生と言いましょうか(笑)。

2015年

-春

正確には覚えてないけれど、確かこの春に会社を辞める。もちろん若さゆえの勢い。
無計画すぎる春だったけど、長時間労働や煩わしい人間関係、出世争いの為の足の引っ張り合いから抜け出せて気分はかなり爽快だった。

-夏

無計画すぎた歪みが既に出始めるも、まだまだ余裕で暮らせていけた。
なぜかコーチングを勉強し始める。
この頃、ブログを始めてそこから集客をしてコーチングで生計を立てようと考えていた。
当然うまくいくわけがない。ブログで出会った人達も「なんだかな」という人が多かった…。
この頃、アルバイト先でメンヘライケメンのKと出会う。甘え上手で生活能力のない彼に心も金も持っていかれる。

-秋

「無料でコーチングやります!100名限定!」とブログに書いたら一瞬にして広まり集客できた。とはいえ無料だから集まった人達であり、9割が主婦だった。「主婦にコーチングいるの?」と思いながらやっていた。
晩秋、とりあえず100名コーチングを終えたところで、向いてないし面白くないし金にならないという理由でコーチングをやめる。
同時期にヤンデレのKから離れる。彼から離れたことで少しだけ気持ちが楽になるが共依存していたのか心が苦しかった。
この頃、昼間のアルバイトでは生活が厳しくなり、神泉にあるパブで働き始める。

-冬

コーチングをやめてから生活に目標がなくなる。何かしたいし起業したいけれど何ができるのか、どうしたら良いのかわからずに悶々とした日々を送る。
パブの仕事はつまらなかったけど、同世代の女の子が多く、女子高の雰囲気で楽しめた(笑)。なお、この時、水商売は自分に向いてないことがわかる。
時々Kを思い出し、自分からふったくせに彼から連絡が来ないことが苦しくて仕方なかった。若干病んでいたのかもしれない…。

2016年

-春

2月の終わり頃だと思うけど、No.1の太客に気に入られてしまったことで彼女のご機嫌を損ね、まあまあ面倒な立場に立つ。元々やめるきっかけを探していたのでなんの未練もなくやめる。
相変わらずやりたいことは見つからず、生活をしていくために渋谷にある小さなスナックで働き始めるが、ここは雰囲気が合わなくて(とにかく暗い)すぐに辞める。

生活をする為にまた水商売に戻る。
今度は自宅近くにある地域密着のスナックで働き始める。ここは居心地が良かった(途中までは)。

やりたいことはみつけられなかったが、無料の起業イベントによく出るようになった。同時に恋人候補も探していた(笑)。
この時出会ったただのサラリーマンが、今じゃ次のユニコーンだろうと言われる企業のCEOになってるんだから、出会いってわからない。
ちなみに、Kに自分から連絡をして会ったけれど、相変わらずうだつの上がらない彼に嫌気がさして完全に袂を分かつことに。これは正解だった。
気分が少し晴れてきた。

-夏

暗黒の小休止といった季節。
もはや起業したいこともなく、スナックでのアルバイトは楽しかったのでダラダラと過ごす。その中でも起業仲間をみつける努力はそれなりにしていたが、出会う人を巻き込めるだけの夢と確固たる覚悟が私にはなかった…。

夏の終わり、居心地の良かったスナックを辞める。理由はママから自分の太客を奪って独立するんじゃないか?といわれのない疑いをかけられて面倒なことになったから。デジャブ…。
「水商売なんかするわけねーだろ!」と啖呵を切りいつもより多めの金額を貰ってその場で辞めた。
あの人は裏切ったり裏切られたりばかりの人生だったから、人をそんな風に見てしまうんだろうなと哀れんだね。

-秋

盛夏頃からひそかに働き出した渋谷のコールセンターを生活費を稼ぐ仕事として、ここでフルタイムを始める。
成績がすこぶる良くて社員に誘われたが、「コールセンターなんかやってられっか」と思い、濁しながら働いていた。

相変わらず起業仲間をみつけることができず、お金はどんどん底をつき、インフラが止まらなかったことが不思議なくらい金銭的に追い込まれた。
自転車操業を地でいく生活を続けていた。
毎月カードの支払いに追われ、毎日、その月に稼がなければならないお金を計算していた。
そろそろ本当に社会復帰しなければならないかもな、と思い始めた。

-冬

渋谷のコールセンターを辞める。
理由の一番は社員になっても給料が低すぎたこと。その後も部長から何度か連絡を貰ったが無視していた。

年が明けた冬。
税金も何もかもが払えなくなり、とうとうあの若さで役所から「生活保護を受けてはどうですか?」と言われるまでに。
そこで段々と目が覚め、見たくなかった自分の現実と実力を思い知る。
「このままでは起業はおろか生活すらままならない。金銭的な余裕のなさは心のそれに繋がる」と痛感し、重すぎた腰をあげて正社員に戻るべく転職活動を始めた。

起業はできなかったし、無計画すぎて金銭的にかなり苦しみ、七転八倒の約2年間だったが今だもって後悔はない。

本格的に転職活動をするとすぐに内定を貰えた。

2017年

-春

年収がそこそこ高い大手に内定が決まったが、そこの個人情報の扱いの雑さに恐怖を感じ内定辞退。
派遣に応募すると直後に決まる。
ベンチャーで紹介予定として働き始めるも、上司が恐ろしくパワハラな男だった。私は気に入られていたが、彼がいじめて辞めていく人がいなくなれば最終的には必ず私にもその火の粉はふりかかると察し、3ヶ月で退職。
ちなみに、その後、このパワハラ上司の行いは派遣会社はおろか会社でも問題になったらしい。

なあなあの関係だった男と別れ、何も決まっていないのに気分は晴れやかになり、これからの未来は洋々だと感じた。

-夏

紹介予定派遣で働く2社目から早めの正社員の打診があり、給料がとても良かったのでそこで働くことに。
後に、同僚の男からストーキングされ辞めることになるが、それを除けば働きやすい会社で仕事がつまらない以外、不満はなかった。
この頃、ようやく生活に少しずつゆとりができ始め、カードの支払いに怯えなくて済むようになる。

-秋

相変わらず起業を諦めておらず、お金をためながら計画を立てていた。
この時、関心があった業界は医療、福祉、農業、地方創生。コンテストにもいくつか出したが、机上の空論では審査員に刺さるはずもなく落ちまくっていた(笑)。

-冬

穏やかすぎる暮らしをしていた。
会社から給料を貰えること、チームで働けること、有給や交通費が出ること、ボーナスを貰えることの有り難さを身に染みて感じていた。

ざっとこんな感じかな。
印象深いのはここから先なんだけど、長くなるのでそれはまたいつかのお話だね。
いや、しかし、私頑張ったわ。
若いなりに本当に頑張った。
あの時の自分に感謝しかない。
今こうして夫の給料だけで悠々自適?に暮らせるのがほんと、信じられないね。
どん底を見ていたのはわずか7.8年前の話だからね。
感謝感謝♡♡♡♡♡

さて、次男が寝ている間に昼御飯たべよー。

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