人生の正解(笑)を押し付けてくる人へ
あまりにもいきなりではあるが、本質的に、全ての娯楽に意味なんてものはない。というか、娯楽に意味を求める方が間違っている。娯楽なんてものは、楽しければ、己が満足できれば、それでいいものだ。
それで食っていける訳でもない人間がギターを弾いていても、はっきり言えば何にもならない。プロになれなかった人間が休みの日にサッカーをしていても、はっきり言えば何も残らない。
でも別にそれでいいのだ。他のことをしたって結局どうせ意味なんてないのだから。それなら自分が喜ぶこと、自分が満足することをしてあげればいい。
人生の大半は娯楽で構成されている。
いい飯なんて食わなくても、普通に生命は維持できる。俺の主食はすき家だけど生きてる。なんならホームレスよく見るけど、だいたい生きてる。いい飯なんて食ってないのに。
いいおうちに住まなくても、いい家具を買わなくても、普通に生命は維持できる。俺は狭い部屋にマットレス置いてるだけでも生きてる。なんならホームレスよく見るけど、だいたい生きてる。路上で廃品と暮らしてるのに。
いい服なんて着なくても、普通に生命は維持できる。俺はだいたいGUだけど生きてる。なんならホームレスよく見るけど、だいたい生きてる。服持ってないのに。
いい時計?あまりにもいらん。時間なんてスマホ見たら分かる。なんならホームレスよく見るけど、だいたい生きてる。あんまり今何時かすら分かってないのに。
旅行?進学?勉強?結婚?子供?全部そう。
絶対に必要なものではない。言ってしまえば全て娯楽だ。
私たちの人生は、娯楽のために労働して、労働以外の時間で娯楽を楽しんで。また娯楽のために労働して、その繰り返し。
全ての娯楽に意味なんてないし、どれだけ労働を頑張っても娯楽が豊かにしかならないのなら、すなわち、その2つが基本的な構成要素である私たちの人生には、意味がないということになる。
そうだ。はっきり言って人生に意味なんてない。きっと今この瞬間もどこかで誰かが生まれているし、誰かが死んでいる。この広い世界で、無限に繰り返される、ありふれた循環のほんの小さなひとつのピースでしかない。
この世界に、どうしても私がしなければならないことはない。それはきっと他の人も同じ。
使命も意味もないこの人生。娯楽が主役のこの人生。どうせなら自分がいちばん楽しいと思えることを探し続ければいいじゃないか。やりたいと思うことを好きにやればいいじゃないか。
やりたくないことをやっても、やりたいことをやっても、どうせ辿り着く先は同じなのに。
アクティブに外で遊ぶのが好きな肉体派もいれば、部屋の中で将棋や囲碁を頭脳派もいる。
娯楽なんて本人が好きなことをすればいい。
誰かに指図するのは野暮。人生もね。
この人生、娯楽なんだから楽しんでこ🫶