エッセイ:卒業式の思い出
私の住んでいる地域の小学校は昨日卒業式を迎えた学校が多い。
多くの人にとっては、学生時代の卒業式は印象深いものがあるだろう。
けれど、私の学生時代の卒業式の思い出はあまりなく、特に泣いたりもしなかった。
好きな男子の第二ボタンでキャーキャーすることもなかった。
ただ「あー、もうこの学校に来ることはないんだな…。」ぐらいにしか思わなかった。
ひとつだけ印象に残ったのは大学の卒業式だろうか。
私が大学を卒業したのは2011年3月。
そう、今から10年前。東日本大震災の時である。
国立の大学だったため遅く、卒業式は3月26日の予定だった。
日本中が混乱し、自粛ムードの中どうなるのだろうと思っていたら、中止のお知らせが。
結局大学に学位を取りに行くというだけで、自粛のため、袴も着ず、写真も撮らず、卒業したのかしてないのかわからない卒業となった。
小学校の教員になった私は、毎年卒業式に関わることになり、学生時代の卒業式よりも教員としての卒業式の方が経験回数が多くなった。
私は音楽を教えていない年度でも、ピアノ伴奏をすることがほとんどだった。
6年生を担任し、卒業生を送り出した年度もある。
音楽専科の先生が伴奏しないから伴奏してほしいと頼まれ、練習含め極寒の体育館でひたすら国歌と校歌を弾いたこともある。
その中で最も印象深かったのは昨年度の卒業式。
その時すでに退職届を出していたので、教員人生最後の卒業式だなぁとしみじみ思っていた。
コロナで中止になるのでは?と言われていたので、自分の大学時代の卒業式のことを思い出した。
何度も会議が行われて、卒業式は実施されることになった。
しかし例年と違い、飛沫感染防止のため歌はなし。
すでに6年生は練習をしていたので、どうしても歌わせたかった6年生担任。
そこで考えた案は、卒業式後に全員集まり、校庭で歌うという案だった。
校長先生は歌を歌わせることには大反対。
そのため、校長先生には内緒で計画が進められた。知っているのは6年担任と子どもたち、そして私。
ではなぜ私がこの計画を知ることになったのか。
それは、伴奏を頼まれたからだ。
担任した子どもたちへの思い、コロナ禍のため感染リスクもある中でも計画を実施したいという思い、感染には最大限気をつけて行うこと…
その熱い思いを聞いたら、私には断る理由などなかった。
そして当日。卒業式終了後、学級指導、そしていよいよだ。
子どもたちが校庭に集まり始める。体育館にスタンバイしていた私はピアノを弾き始める。
体育館から校庭のスピーカーに校歌が流れ、歌いながら集まる子どもたち。
そして全員が集まった合図が出て「旅立ちの日に」を歌い始める…。
私にとって卒業式は教員になってからの方が思い出深い。
2年前、4年生を担任した。その子たちは今年卒業だ。
今年も多くの学校が例年とはちがうコロナ対策を行った卒業式になっただろう。
それでもきっと未来は明るい。卒業おめでとう。