科学ってなんだろうね。
学生さんではないけど学術についてまとめたいのだけどと相談を受けてどんな内容なのかな、、、と資料を持ってきてもらった。
さっぱりわからん
何がわからないかって、まずは共通書式というものがあるわけなんだよね。そういう意味では約束事がほとんど守られていなかった。
「私は社会に貢献するため何か新しいことをして結果を出したい!」みたいなことが書かれていた。じゃあどうするのさ、、、というのが問われている内容だったりするのだ。
最低でもさ、科学をふるというならPECOとかあるじゃん?まずそこからなわけですよ。人に論理的に伝える。これができないと科学が始まらない。
①どういう対象にP
②どういう介入をしてE、しなかった方と比べたらC
③どんな結果が得られるのかO
これがないとどこをどう読んでいいのか分からない。そしてこれが仮説を立てるときの本質であると「今のところ」言われている。そして、その仮説をつくるときも具体的でないといけない。
なんとなく全体がPかわるとE、全体の結果がいっぱいでてくるOだろうか?そもそも対照Cがない。
こんな前提ではいくら時間と労力、費用があっても足りないわけだ。科学するというのはお役所仕事と同じように同じ手続きを踏めばだれもが同じ結果が得られそうな論理構造で語られなければならない(不確実性のため必ずしも全員が成功するとは限らない)。STAP細胞があるとかないとかどうでもいいのであって、それを仮定通り、予定した方法でにちゃんと得られるかどうかなのだ。
だから、仮定ができたあとは論理的な書式がだいたいきまってくる。「対象と対照」「介入方法」「結果」「統計処理」「考察」といった順に骨格が続いていく。
またSTAPで恐縮なのだが、STAP細胞が、ある簡単な化学処理をするとそうでない細胞に比べて簡単に作成できると言うのが仮説となる。あるとかないとかはどうでもよくて、簡単な方法で作成したことをどうにも確認できなかった。「介入方法」が違っていたから問題だった。結果としてSTAP細胞ができていたかどうかではたまたまかもしれないし次に同じことをして同じように作れないわけだ。同じように作れなかった時点で負けなのである。実際に作れなかったわけだ。
世の中にはこうした目で見ていくとおかしなことがたくさんある。それが何で問題にならないかと言うとゲフンゲフンなことがピーからピーされて、ピーなっているから表に出せないよう圧力がかかっているわけである。