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その言葉の意味
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人は自分が生まれた時代に皆満足しているのだろうか?
私自身、そうそう意識してはおらず、
思うのは、いい時代とかなんとかよりも、
今良からぬ方向に向かっているかもしれないことが、
私が一生を終えるくらいは現実にならずに済みそう。
地球が住みづらい場所になる、 AIあるから人が働けなくなる、などなど。
そうなると良い時に生まれて良い時に死ぬなあ、と。
しかしそれは話が違う。
マイナス面からでは無く、心底いい時代に生まれたと思えるだろうか。
そんなことを考えたのは、去年の年末に喪中ハガキが届いたからだ。
そこに私が9年前にピアノを教えていた80代の男性の生徒さんが亡くなったことが書かれていた。
その方は生徒、とは言っても大きな会社の社長さんで年齢も親よりも上、
実際私が教わることも多く、ピアノの先生と生徒という関係性では語れない方であった。
色々な話を聞いたり話したりした中で、
とても印象に残っているのは、
その方が「何だかんだ、私は一番いい時代に生まれたって思う」とおっしゃったこと。
年齢からその時代とは戦争があり(まだ招集される年齢では無かったと思う)食べたいものも食べられず、教育もきちんと受けられていたかどうか?辛いこともあっただろう混沌とした時代だったと想像してしまい、聞いていた私は失礼ながら「そんなにいい時代だったのだろうか?」と思ってしまった。
歴史的に大きな辛い時代であったその時代の人が語る言葉はなぜか私の心に留まり、時折いい時代ってなんだろう?と考えるようになった。
それが、もしかしてこう言う気持ちからの言葉だったのか?と少しだけ腑に落ちたのは、4年前ショパンコンクールをリアルタイムに観た時であった。
私が音大生だった時、ショパンコンクールで一位になったブーニンが一大旋風を巻き起こしたことがあった(無論、ピアノマニアの世界の旋風だが)
ニュースでちょっと流れるコンクールでの演奏を固唾を飲んでテレビに釘付けになった。聴こうにもチケットは瞬く間に完売、優勝直後で録音も無い。ブーニンというのは一体どんなピアノを弾くのだろう?の興味は、正体が見えないからこそ大きくなり、音大生はその話題で持ちきりだった。
そういう経験があり大人になった私は、
いつからかは知らないが前回のショパンコンクールでリアルタイムに演奏を公開されていることが夢のように感じた。
「今ポーランドでこのコンクールが行われていて、
それを自分の家のテレビで見ている」こんな未来を音大生の時に想像しただろうか???大げさでなく奇跡が起きた!くらいに感動していた。
もちろん、リアルタイムに観なければ2度と観られないわけではなく、
ちゃんとアーカイブされている。
そんなことはわかっているが、夜中の3時にテレビの前で反田恭平の演奏を聴いては、これが「今」ということに大興奮していた。
そうなると、その感動を誰かと共有したくなる。
それで私の大学生の生徒とショパンコンクールについて話してみた。
するとどうだろう、演奏への感動は盛り上がって共有できたが、
今の演奏を自分の家のテレビで観てる!に関してはイマイチ。
それはそうか、、現代の大学生には当たり前のことなんだよ。。。
そこから80代の生徒さんの言葉、
いい時代とは。
誰もが羨むラッキーな時代に生まれたことでは無く、
当たり前のものが無かった時代を知っていて、今あることに心から有難いと思える、ということだったのかもしれない。
先日人工知能について人と話題にすることがあり、
その手の話は疎い私は渦中にいない人間、へえ、そうなんだ、と聞いていたが、AIを活用すると合理的、使わない手は無い、積極的に使う、というのは今や常識らしい。
昭和の女の私はどこかでロボットの奥さんが三つ指ついて「おかえりなさいませ、旦那様」と言って、令和の時代こんな理想の女房はいない!と満足するみたいな?なんか違うよ、それ!それって危ない人じゃん!みたいな見方をしていましたが。ビジネス面では当たり前、使わない手は無いものとして浸透しているそうだ。
一方で、その現在の常識を語ってくださった方が、
「これがあったら人間いらなくなるみたいで怖い」ともつぶやいておられた。
その危機感を持っている、というのは日常使いしていく上で、とても重要なのでは無いかと感じた。(疎いくせに生意気だが)
当然のように浸透した時代に生まれた人に、その感覚はあるのだろうか?
そう思った時、少し不安になった。これから先、時代はどこへ行くのだろう。人間がいらなくなる時代?想像もしたくない。
無かった時代を知っていて、その危機感を持てて良かった、
その上で便利なツールを使うことも出来る。
もしかしたら私もいい時代に生まれたのかもしれない、と感じた。