【劇日記】古典にみる現在~風蝕異人街 マクベス
札幌で活動を続ける風蝕異人街という劇団は、寺山修司や古典(主に悲劇)を上演している。
題材からしてストーリーは重く、足袋で足を踏み鳴らす、しばしば登場する地の底から這い出してきたような役者の演出や激しいロックのような音楽に合わせて繰り広げられれるコンテンポラリーのような舞踏、古典的な言い回しの長台詞、といった独特の世界観に抵抗のある方もいるかもしれない。
しかし、不条理な毎日の中で心の澱(おり)が吐き出せず、苦しんでいるときは、舞台の役者の心身を通して臓器の底の生命エネルギーが共鳴する、そのような世界観が展開される。
今回は『シェイクスピアの悲劇、マクベス』を、風蝕異人街でリメイクして上演する、という。
本当は資格試験のあとにまっすぐ向かおうか迷ったが、きっとエネルギーを吸われるだろう、と予測。千秋楽の日に改めて来ることにした。
私は、マクベスを読んだことが無かったが、開幕前にYouTubeなどで予習をしてくれたのがありがたかった。
マクベスや従者が革のジャケットを着ていたのは、恐らく何かのメタファーなのだろう(心の鎧?)。
足踏みシーンは相変わらずの迫力。足の音ひとつで、味方か敵か分かってしまう。
ダンスはほぼ無かったけど、長台詞に加えて狂ったり、中腰で走ったり、ひたすら跳んだり、笑ったり、という風蝕異人街ならではの演出は今回も生きていた。
(余談だが、ダンカン王が殺される場面のコンテンポラリー?は、一幕の見せ場だったと思う)
殺陣もあったから、千秋楽になると、演者の方々も肉体も精神も限界だったのではないか。
ちなみに、ざっくりしたあらすじ↓
・舞台はスコットランド。賢い王、ダンカンのもとで近隣諸国と戦いをくりひろげている。
・荒野で出会った3人の魔女の予言を聞いた主人公、マクベスは、魔女の予言をきっかけに、妻と共謀してダンカン王を暗殺。その容疑をダンカン王の息子、マルカムと家臣にかけて、自分が王座につく。マルカムは亡命
・不安に駆られたマクベスは、かつての仲間だったバンクォーを惨殺。同じく仲間だったマクダフの妻や子どもたちも惨殺。精神をむしばんで暴君になっていく。
・しかし、マクベスは「森が動かない限り、マクベスは負けない」「女の産み落とした者には、マクベスの命は奪えない」という魔女の予言から、次第に慢心していく
・妻子を殺されたマクダフが、イングランドに亡命していたマルカムを説得し、軍をあげる。
・マクベス夫人は発狂して死ぬ。
・マルカム率いる軍は、森の木の枝を身体につけて姿を隠し攻撃を開始する(森が動いた)。帝王切開で生まれたマクダフに、マクベスは命を奪われる。魔女たちは不気味な笑い声をあげながら、マクベスの亡骸に覆い被さっていく
見る前は、グロテスクな描写があるのか、と覚悟していた。(ちなみに前回見た『トロイアの女たち』はレイプや拉致、民衆の惨殺などの描写があり重かった。現在も続く戦争へのメタファーと怒りが込められていたに違いない。)
しかし、今回は女性や子どもの直接的な惨殺場面は無く(それをほのめかす場面や台詞はあったが)
『殺すのも殺されるのも、男性』だった。
そして、登場人物は誰も「完全な悪人でも善人でもない」というのが印象的だった。
正義感が強いが脇の甘いダンカン、まだ幼く尖ったマルカム王子、あわよくば自分もおこぼれを貰おうとして殺されるバンクォー、妻と子どもたちを置いて単身亡命するマクダフ(置き去りにされたマクダフ夫人の叫びが辛かった。「逃げてください」という家臣に震える声で「どこへ?」と叫ぶマクダフ夫人。妻子を惨殺されて嘆くなら、せめて家族の身の安全を確保してから亡命して欲しかった)。家臣や従者たちも、どんなに俊足で腕っぷしが強くても権力者の犬であり、無力だった。
マクベスですら、最初はただの臣下だった。むしろ忠実な、と言って良い。妻の台詞では「あなたの胸の中には野心がずっと渦巻いている」と言っていても、ピンと来なかった。しかし、怖じ気づいているように見えたただの男は暴君となり、恐怖から暴虐を働き、やがて慢心したマクベスは、身を滅ぼしていく。
その様子は、どこか私にも重なるようでドキッとした。
もちろん、政治家や歴史上の人物、出会ってきた様々な人間にも。
魔女は今もどこかで、大釜でなにかをぐつぐつ煮ながら、したなめずりしてこちらを見ているのかもしれない。
藤子不二雄Aの『笑うせえるすまん』を思い出した。
こうして、古典に描かれた人間の普遍的な功罪やドラマは、現在にも脈々と受け継がれていくのだろう。