青木円香

蝦夷地の雑文書き。ミニ・エッセイ。食や音楽。ギャラリー・美術館・博物館、劇、たまに推しのことも。

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最近の記事

【小説】ふきのとうー沼の跡の話ー(下)

(つづき) 小屋の中で、男は薪をストーブに放り込んだ。ぱち、ぱち、と木の焦げる甘い香りが弾けた。肌寒い風に長い間あたっていたので、暖かい場所に入ると、僕たちは少し安心した。  ストーブの中から、男は丸く焦げた塊を三個、取り出した。まだブスブス音を立てている、真っ黒なそれを板の上で割ると、中から黄金色にほくほくに焼けた芋が出てきた。焦げの苦いにおいと、甘い香りが混ざりあって広がる。 「ほら、気を付けて食え」 男は、熱そうに黒い部分をはがすと、丸く削った木の皿に、どっかりと乗せた

    • 【小説】ふきのとうー沼の跡の話ー(上)

      「ふきのとうが食べたい」   電動車いすに腰かけて、外を眺めながら萌ばあちゃんがつぶやいた。    萌ばあちゃんは駅のそばにある、研究所でずっと働いていた。野菜の培養研究を続けていたが、去年の7月、試験管を洗浄機に入れている途中、突然膝から崩れ落ちるように倒れた。八十歳の誕生日を過ぎてすぐのことだった。今は、電動車椅子に乗りながら、医療介護用ロボットと一緒にアパートで独り暮らしをしている。  萌ばあちゃんは僕たちにたくさんのことを教えてくれた。昔、公園や道路には本物の草や木

      • 椎名林檎と永遠の少女性

        久しぶりに椎名林檎のメロウが聞きたくなった。 2000年に音源化され、2008年に映像化された。 その間、彼女は人妻になり、母になり、離婚し、東京事変を結成した。 ライフスタイルや時代の変化と共に、曲の配信方法も、アレンジの幅も変わっていった。それでも創作物の中に、千手観音のように色々な顔(アイデンティティー)を持つ「女である己」の側面が漂っていることは一貫してると感じる。 一人称が『僕』であっても。 メロウは、狂気と儚さの狭間にいる。 MVは、あまりにも儚くて切なく、文学的

        • ちぐはぐ

          「あんたの格好、ちぐはぐだね」 たしかにそうだ。 花柄のフレアスカートにアディダスのスポーツ用靴下、カラフルなスニーカー、寝坊して慌てて飛び出してきたような服装。脚は虫刺されの傷が見え隠れしている。やんちゃと清楚が同居しているような格好。きちんと考えて選んできたのに。 ちぐはぐ、なんてぴったりな言葉だろう、と思った。 性格もちぐはぐ 脳内もちぐはぐ 見た目もちぐはぐ 生き方もちぐはぐになった 効率性や完璧、安全性や体面が求められる世の中では、ちぐはぐは必要とされない、ちぐはぐ

          不惑のバレエ その2~マーメイドを観に行った話

          初めてダンスを教えてもらったとき、イメージしていたのは人魚姫だった。 バレリーナは足の甲をきれいに見せるため、脚がつっても優雅に踊る どんなに痛くても、楽しそうに優雅に笑い舞う、それを聞いた時「王子様の結婚式で舞う人魚姫」がのうりに浮かんだ。歩く度にナイフで刺されたように痛む脚で、泡になって消える運命に絶望しながらも、微笑みを絶やさず祝宴の席で舞を披露する15歳の人魚姫、それは私のイメージした踊り子たちの姿そのものだった。 月日が流れ、不惑を迎えてから縁あってバレエを始め、今

          不惑のバレエ その2~マーメイドを観に行った話

          凡人、3回目の試験を受ける

          資格試験の勉強をしている。 好きなことだからがんばれるけど、思い出はひりひりする。 今学んでいる資格に関連する業務を生業としていたことがあった。 その業界を大学院で研究を極めて、公私の時間も財産もつぎ込むような人々が集まっていた。研究発表をして、最終的には図鑑を監修するような人々が。 彼らは、才能の塊だった。だからこそエネルギーを注ぎ知識を吸収し、努力を越えた努力をして更に研ぎ澄まされていく。 がむしゃらに要領悪く頑張らなければ、会話にすらついていけない私は凡人だ。嫌という

          凡人、3回目の試験を受ける

          推し休みがはじまった

          やめることにした 正しくいえば、一旦休むことにした いくつかの学会、同好会、ファンクラブを。 今、活動しているもの(または活動の余地のあるもの)を残して。 冷めたり嫌いになったわけではないから、これからまたそれに戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。 ただ、見える世界が変わってしまった、それだけのこと。 「好き」や「個人活動」の場は、自分のペースで続けてていた。対価として、会費やわずかなグッズ費用を支払い、たまに発表の場でささやかなデータ提供をすればいいだろう、と思って

          推し休みがはじまった

          ゆっくり忘れていく

          あの花の名前は、木の名前は、さえずっている鳥の名前は、その間をせわしなく飛び回っている虫の名前は あの曲がり角にあった店の名前は、同じクラスにいたあの子の名前は、あの人の好きだった曲は 思い出せない 出会ったことがあるはずなのに あたりまえに呼んでいたはずなのに 電子機器かパソコンなら、とうの昔にスクラップされていた私は、這いつくばってここにいる 色々な説教や正論に耳を塞ぐ これからどれだけ忘れて、そのうちのどれだけを思い出せるのだろうか 追加  その子の名前は、なんてこと

          ゆっくり忘れていく

          振り替えると時代になっていた時間

          5年ほど前に同人誌に執筆した小説を、ラジオドラマ用に書き直している。 80年後のこの街で、双子が祖母のために小さな冒険に出る話だ。 新型コロナウィルスの感染拡大など想像できないだったが、海の向こうから確実に忍び寄ってきている、そのような時代だった。 作品には賛否両論があった。「今、ここにある時代」ではなく「もしかすると、訪れるかもしれない未来」を描いた作品だったから。 できれば、そうなってほしくない事件も、望みも祈りも描写した。いつか読み返したとき、こたえあわせをしよう、と

          振り替えると時代になっていた時間

          砂時計とベリーダンス

          誕生日を過ぎた朝、珍しく夜明け前に目覚めた。 何気なくSNSを眺めていると、悲鳴や叫び、そして追悼のコメントが流れてきた。 呆然とした。 まさか、と、ただ信じられなかった。 つい先日『セクシー田中さん』の最終回を観て、清々しい気持ちになったばかりだった。 あの日読んだ『砂時計』は、心の支えの一つになってくれた。 物語の登場人物は皆、どこかに誰でも持っていそうな欠点やコンプレックス、トラウマを抱えていて、一歩踏み出していく。 「実在する人間は、白黒どちらかではない。それを描写す

          砂時計とベリーダンス

          コーヒーと宿り木

          職場までの道をホットコーヒー片手に歩く。 巷の記事は、芥川賞と直木賞の発表でもちきりだ。 その中で彼女のつぶやきは毎日更新される。 子育て、手作りの料理、やりがいのある仕事、優しい夫とのささやかな日常。 遠い昔、交遊関係の広さや手にいれた本や服を披露していたように。 知ってるよ。独りなんでしょう。虚しいから、見てもらえないから、ささやいているんでしょう。 かつての友人たちも、今や誰も足跡をつけていない。 頭の上には宿り木が。普段は隠れているが、落葉すると宿主の枝葉があらわにな

          コーヒーと宿り木

          街底の創作のたまご

          行きつけのクリニックで、かわいいピアスを見つけた。小さな三日月に、銀色のうさぎがぶら下がっている。 「デイサービスに通う利用者さんが作ったんです」 通りがかったスタッフが教えてくれた。 自分の耳にピアスホールが無いのが少し残念に思えた。 手作り小物出品の催しが行われると、参加希望者で溢れかえるらしい。ギラギラした熱気が苦手で足を運んでいないが、毎年盛況だと聞く。 自作のイラストや写真、詩や小説を一緒に並べる人もいるとか。 利益を出すだけではないが、対価が一番分かりやすい評価

          街底の創作のたまご

          なにものでもなくていい。

          YouTubeから、YOASOBIの「群青」が流れてきた。 『好きなものを好きだという、怖くてしかたがないけど』 このフレーズを、誰かに聞かせたい。 ルッキズムや肩書き、カーストやヒエラルキーとやらに縛られている、昔の、今の、未来の誰かに。 「もう頑張りたくない、でも、何者かでないと存在してはいけない」と怯えていた、あのときの自分に。 外から、色づいた広葉樹の放つメープルシロップのような香りがした。 静かに秋は始まっている。

          なにものでもなくていい。

          夏を見送る

          気がつくと今年も8月15日になっていた。 咲き誇っていた百合の花も、最後の一輪になっていた。 動かない心と身体で、“向こう側”にいる、あの人たちを思い出していた。 最後の白きユリ 見送る終戦の日

          夏を見送る

          ウーマンラッシュアワ―村本大輔に笑った理由と言葉たち

          最初に断っておくが、これは政治・宗教の思想信条に基づいたことには全く触れてない。 あくまでも『表現者としてのあり方』を自問自答したものだ。 ○スタンダップコメディー 知人に誘われて、ウーマンラッシュアワーの村本大輔のスタンダップコメディーを観てきた。 マイク一本で、数秒の小休止を挟みながら社会情勢と「あるあるネタ」を絡めてテンポ良く小ネタを披露する。 言葉選びも伏線回収も秀逸で、毒の効いたシニカルな芸風の好きな私は、一時間笑いっぱなしだった(ちなみに、他の方に聞くと、その

          ウーマンラッシュアワ―村本大輔に笑った理由と言葉たち

          ひとりでいきる

          ひとりでいきる覚悟をした。 節目の年を過ぎて子が巣立ち、独り身に戻った。 これからどうするか悩んだ。 少し前まで独身だった人の左の薬指に、いつの間にか指輪が光っているのを見ると、相手が誰であろうと焦りと孤独に飲み込まれるようになっていた。 そのたびに、婚活に時間とお金を注ぐか迷った。お見合いパーティーや結婚紹介所、マッチングアプリで伴侶を見つけ、幸せな家庭を築いている人々も知っている。だから選択肢の一つとして真剣に考えたが、私の出した答えは「ひとりでいきる」だった。 生業

          ひとりでいきる