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ウーマンラッシュアワ―村本大輔に笑った理由と言葉たち

最初に断っておくが、これは政治・宗教の思想信条に基づいたことには全く触れてない。
あくまでも『表現者としてのあり方』を自問自答したものだ。

○スタンダップコメディー


知人に誘われて、ウーマンラッシュアワーの村本大輔のスタンダップコメディーを観てきた。
マイク一本で、数秒の小休止を挟みながら社会情勢と「あるあるネタ」を絡めてテンポ良く小ネタを披露する。
言葉選びも伏線回収も秀逸で、毒の効いたシニカルな芸風の好きな私は、一時間笑いっぱなしだった(ちなみに、他の方に聞くと、その日は子どもがいなかったため、いつもよりエロネタが多めだったらしい)。

○言葉を選び紡ぐということ


終了後、観客が演者に質問をした。ネタはどうやって生まれるか、というものだった。
村本さんの答えは「受け手によって不快になるような言葉を選ばないように気を付けている」というものだった。
それを聞いた瞬間、私は言葉を悩みながら選んでいるか自問自答を始めた。

コメディーでも文筆でも、あらゆる表現は真髄に近づけば近づくほど、痛みや不快感を伴う。それは、どんなに言葉を選んでも多種多様な人の背景や価値観がある以上、限界がある。
(ちなみに「男は尊敬する女性とはヤれない」というネタを聞いた時、ある男性に「貴方を尊敬しています」と言われたのを思い出し、好意を示されたのではなく、恋愛感情が無いことの表明だったという現実を突き付けられ、複雑な気持ちになった。)

○『表現』と『言葉選び』の狭間で


全ての苦味を取り払った表現は、無味乾燥なものでしかない。
しかし『表現の自由』と主張し、不用意な言葉選びをしては、笑いも感動も届かない。
そのギリギリの線を探すために、言葉選びや表現を続けていくことを自分はしているだろうか、と、改めて自分に問いかけた。
「性格悪くないとお笑いはできない」と村本さんは言うが、その奥に鋭い刀のような知性が垣間見えた。

○問い続けて

村本さんは、最高に格好良かった。ライブ会場で出会った人々も、格好良い人ばかりだった。
ここで申し上げる「格好良さ」は、造形云々ではなく、漫然とやり過ごしそうになる日々に向き合い、表現活動を続け受け止めていく姿勢で生きている生き様の美しさのことだ。
この次、ライブに参戦する時は美しい人間になっていたい。

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