見出し画像

自分のことが嫌い!?自分を好きになりたい…

■自分のこと、好き?

これまでの人生の中で、2〜3回は聞かれたことがある。

 「自分のこと、好き?」

______________

そう聞かれた時の私は、

 ●自分のこと好き??そんなの分かんない!!

でした。自分を好きとか嫌いとか、そんなこと考えたことがない…

「自分のこと、好き?」

そう聞いてくれた人から見ると私は、「自分のことが嫌い」に見えていたのではないかなと思う。


好きとは言えないし、でも、嫌いかどうかも分からない…

「自分のことが嫌い!」

そう言えることすら、なんだか羨ましいくらいの気持ちでした。それくらい、自覚もなく自分のことを嫌っていたのかも知れない。「こんな自分嫌だ!」とは思っていたな…

ただ、
「自分のことが嫌い!」
ということと、
「こんな自分が嫌だ!」
ということは、私の中ではなんだか違う感じがしていた。

日本メンタルヘルス協会で心理学を学んでいた時に、
●「好き」の反対は、「嫌い」ではない
というお話があって、なるほど!と思ったのでした。

自分のことが好きか?嫌いか?なんて忘れて数年経ったある日、オンラインで出会って間もない友人と話していた時、

「美樹teaは自分のこと好きだよね〜」

と言われました。

「??そうだなぁ?割りと好きかな!」

自分のことが嫌い!とも言えないくらいに、自分のことが嫌いだった私は、いつの間にか自分のことが割りと好きになっていたと気づいたのでした。

自分を好きになりたい!とも思ってはいなかったので、自分を好きになろうとしたわけでもなく、結果的に「自分のことを割りと好き」になっていた。

そんな感じです。

________________


■自分のことが嫌い!

という人はけっこういるのではないかなと思います。

容姿や体の姿形から、性格や人間性…自分のこんなところやあんなところ…

理由や原因は何であれ、「自分が嫌い!」

そして、
●自分を好きになりたい
と思っているはず。


 ・もっとこんな自分だったら…

 ・自分のここがこうだったら…

自分の欠けているところや、人と比べて魅力的ではないところ、足りないと感じているところが、自分をどんどん嫌いになる要因になってしまう…

私が大好きな、美塾の「内田裕士」さんは言います。

【目も口も鼻も眉毛も…あなたの体に付いているものは何も間違っていない。全部、似合うように付いている。】

これを聞いた時、とても嬉しくなりました。

「こんなことを言ってくれる人がいる。しかも男性。しかも美を追求してきた人が言ってくれるなんて。」

「似合ってないよ!」そう思う人もいると思います。

私自身、目も鼻も眉もアゴの骨格も…左右非対照で形や大きさが違っていて、それが10代20代の頃は嫌で嫌で仕方がなかった。

さらには、酷いニキビ跡で皮膚がボコボコ。顔の形が崩れるほどで、ほうれい線は20代前半とは思えないほどくっきり。肌色もグレーがかっている…。

職場やデパートなど公共のトイレでは鏡を見ることができず、個室で化粧直しをして、手を洗ったら顔を上げることなくそそくさと出る。


 ●せめて肌が綺麗だったら…

背が高いことも、とてもとても嫌で、

 ●せめて背が低くて目立たなければ…

いつも背中を丸めて、下を向いていました。

笑顔でいることが、自分にとっても人にとっても良いことだと知らなかったので、

 ●こんな醜い顔で笑顔になんてなれない…

そう思っていました。


そうしているうちに、鏡を見ないだけではなく、自分自身の心まで、見ようとしなくなっていたのかも知れません。(それだけではないのですが…)


内田裕士さんと出会った時には、そこまで自分の容姿・見た目について自分のことが嫌い!とは、思ってはいませんでしたが、【美】についての価値観を改めて考え直す機会となり、「醜い」と思っていた時のことを思い出しました。もっと早く出会いたかった…そんな風にも思ったのでした。


10代20代の醜い自分だった時にも、有り難いことに友達がいました。しかも、私の友達は美人や可愛い人ばかり。

友達が美人だったり可愛いことは嬉しい反面、醜い自分を卑下していたところもあります。友達は、そんな私と仲良くしてくれていたのです。友達はきっと、私の良いところを私自身よりも、ちゃんと見てくれていたのではないかと思います。

おしゃべりを楽しんだり、笑い合ったりしていながら、私はいつもどこか心を開けずに、自分勝手だったと思います。自分のこと(容姿や性格など)に悲観して、仲良くしてくれる友達に対して、失礼なことばかりだったなぁと今なら分かります。

私自身が嫌っている私のことを嫌わずに、仲良くしてくれて、友達になってくれたのにも関わらず…

でも、そうするしかできなかった自分もいるんですよね。

友達になってくれるということは、その時の自分の精一杯は生きていたのだと思います。


良いところも、悪いところも、どちらもあった。

___________

鏡を見れないほど醜い自分が嫌いだった私は、その後いろんな機会やご縁により、良い化粧品を紹介してもらい少しずつ肌の状態も良くなり、食生活を見直したり、メイクの仕方を教わったりと、容姿についてはあまり気にすることはなくなりました。

それでもやはり、公共のトイレでは鏡を見ることができないままでした。

自分の容姿や姿が嫌いでも、誰もが、自分で髪型を選び、着る洋服を選び…自分自身を表現しています。

この顔に似合うように、この身体に似合うように。

そして、みんなどんな人にも、その人の魅力があります。 

一重まぶたも、丸い鼻も…背が高いのも低いのも、痩せているのもふくよかなのも…

自分で短所だと思っているところが、実は魅力ということもあります。

その時代の美の流行りというものがありますが、流行りに惑わされて、自分の魅力に気づいていないこともあるかもしれません。


 ●自分のことが嫌い!

そう思っている時、それが容姿であっても、人間性だったとしても、とても視野が狭くなっているものです。

狭い枠組の中で自分を誰かと比べているかも知れないのです。もっと大きな広い視野でいろんなことを見られるよになると、自分自身のことも違って見えてくるのです。

この身体は、心も含めて全ては繋がっている。


自分のことが嫌いだった私が、いつの間にか自分のことが「割りと好きになっていた」

私は何をして、どうして

「自分のことが割りと好き」になったのか??

自分自身を紐解いてみようと思います!


                   つづく


***************************


【心理カウンセラーインタビューブログ】
・いろんなカウンセラーさんにインタビューしてみました!

【オンラインカウンセリング(初回無料)】
・ご予約はこちらから↑

●リアル小説(有料)
【特別じゃない日のこと】
【特別じゃない日の父のこと】
・人生を振り返って切り取り、記憶の限りありのまま嘘偽りなく記した


    安心して居られる場所、窓の内側


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?