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あの頃

京都では、左京区の下鴨で生まれましたというと、お年を召した京都人からは「ええとこでお生まれやしたんどすなあ」と言われたりする。

だけれども、その“ええとこ”に住んでいたのは2歳半までで、2歳半からは、前述の人たちから「そこは京都とは言わんといておくれやすぅ」と言われがちな、果てしなく滋賀に近い「都落ち」と表現されたりもする京都の土地(敢えて名前は伏せておく)に半世紀以上暮らしている。

その都落ち、庶民の町では令和になった今でも、昔で言うところの「暴走族」が土曜の夜になると凄い音を立てて走っている。今でもあの子たちのことをやっぱり「暴走族」と呼ぶのだろうか。

ちょうど私の中学生時代は、その暴走族やヤンキーが全盛期だった。横浜銀蝿やなめ猫などが流行りに流行っていた時代。なめ猫は、今の時代なら必ず動物虐待でマスコミに叩かれると思う。何でもありのよき時代。

なめ猫

その頃、同じく流行っていたのがインベーダーゲーム。

今でこそ、家で色んなゲームができる時代。その頃は、喫茶店(カフェではなく喫茶店)に行かないと出来なかったインベーダーゲーム。

そのインベーダーゲームが、ある日うちの家にやってきた。喫茶店を経営していた知り合いが、お店をたたむということで1台を譲り受けた。

学校で瞬く間にうちの家にインベーダーがあるということが広がって、それまであまり付き合いのなかった、ちょっとやんちゃな友達も「インベーダー」目的で家に遊びに来るようになり、近所のおばちゃんたちからは、私が不良の仲間になったのでは?と心配されたりしていた。

おばちゃんたちの心配は他所に、私はごくごく普通の中学生のままだったけれど、家に出入りするようになったやんちゃの一人が今の主人(もうすぐ元主人)。

不良だけど、何故か毎朝新聞配達をしていて、クリスマスに大きなスヌーピーのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。それを機に付き合うことになってしまった。

あのインベーダーゲームさえ、うちの家にやって来なければ・・・

と一瞬思ったけれど、主人と付き合って結婚していなければ、息子とも出逢えてなかった。だから良しとしよう。(笑)

つい昨日のことのように思い出せるけど、気が遠くなりそうな時間が経ったんだなあ。

「あの頃」と言って思い出すのはいつの頃の自分ですか?

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