面白い記事を書こう
覚えて帰って欲しいことは二つだ。二つだけでいい。これだけ覚えてくれれば、この記事は有意義になるし、あなたの記事は面白くなる。
書かないこと
一つ目は、書くことの本質は書かないことである
なぜ人はあなたの記事を読むのか?
もしこれが100年前とかなら「暇だから」が答えになりうる。しかし今はインターネットがあり、人生をかけても消費しきれないコンテンツがあるのだから、「暇だから」は基本ない。
「役に立つから」も難しい。インターネットを探せば役に立つ情報はそのうち出てくるからだ。「わかりやすくて役に立つから」とか「面白くて役に立つから」じゃなければならない。
情報量には価値がない。価値があるのは情報の密度や面白さ、わかりやすさである。
書く内容ついて、筆者は労力を費やし、並みではない情熱があるだろう。その過程や細かなこだわりがあるはずだ。しかし、そのうちの何%が読者にとって面白いだろうか?極端な話、日々の取り組みをそのまますべてだらだら書いたコンテンツはクソつまらない。
あなたのこだわりのほとんどは、残念ながら他人にとってどうでもいい。ましてや、こだわりもない消しても意味が通じる部分は徹底的に削るべきである。そして、適当に書いていると、どうでもいい記述を大量に含んだものが出来上がる。だから吐き出した後に削る作業のほうが本質的なのだ。
なくてもいいものは書かない。いると思ったものも本当にいるのか考える。前提、さまざまな情熱やこだわりがある。そこから一旦意識を切り離して第三者の視点を考える。
面白いことを書くためにはまず、書かなくていいことは書かないを徹底するべきである。
面白いものを書く
「面白い」には再現性がないが、「面白くない」には再現性がある。何が面白くないかは蓄積できる。こうすれば絶対面白いと言えるようなことはないから、面白いかもしれないことの仮説検証をするしかない。
ひとつ、再現性のある「面白くない」の実例を述べよう。それは言い訳っぽいものである。
よく見るこんな感じの出だし
言い訳がましくて面白くないから書かなくていい。
わざわざこれに言及した理由として、文章そのものだけでなく、根底にある感情が「面白くない」を生み出すものだからだ。なぜなら、言い訳を書くときあなたは面白いものを書こうとしていないからである。
ここで二つ目の覚えて帰って欲しいこと、それは面白いものを書こうとすることである
当たり前のことだ。しかし、言い訳を書いているとき、あなたの脳に浮かんでいるものはなにか?間違いない、難癖をつけてくるおかしいクレーマーである。あなたの記事を面白がって読んでくれている人ではない。
医学の記事なら話は別だが、noteで強いと思うデッキについて書いたところで、まともな人が見れば一目瞭然に一プレイヤーの意見でしかない。自分と考えが違うからとケチをつけてくる人がおかしいだけである。真面目に相手をしなくていい。おかしいクレーマーに難癖をつけられないために書いたものが、面白いものになるはずがない。
あなたの記事を面白がってくれる人のことを考えればいい。自分が面白いと思うものは多分誰かも面白いと思うだろうから自信を持って堂々としていればいい。
おもろいこと書くやんけ、ちょっと金投げたるわというあなたの気持ちが最大の報酬 今日という日に彩りをくれてありがとう