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こうでなきゃ

お布団を干すのに最適な一日です!

とキャスターが声高らかに宣言した先日、長男は遠足に出かけた。梅干しがふたつ乗っかったお弁当↓を持って。

何事もそこまで感情が表に出てこない長男だが、珍しく「遠足楽しみ!」とずいぶん前からわくわくしていた。今の担任の先生やクラスメイトは長男にとって居心地がいいらしいので、その影響もあるかもしれない。

それはもちろん嬉しいのだが、今のクラスもあと半年か…と終わりを考えてしまうのが大人の悪い癖である。この先いろんな問題が起こってくるんだろうなあ、と心配は尽きないが、先を見据えて憂うのは大人の仕事。子どもたちには今を精一杯楽しんでほしい。

先月末、隣駅近くの公園でハロウィン祭りがあると聞きつけた夫と子どもたちは、夕飯兼ねて行ってくるよーと仕事だった私に連絡をしてきた。じゃああとで合流すると答え、仕事を終わらせて隣駅の改札をくぐった瞬間、思わず「わあ」と声が出てしまった。

オレンジ色の灯りをともす提灯、色とりどりのイルミネーション、たくさんの屋台、子どもたちの歓声、大道芸人、そこらじゅうのベンチでなにかを頬張ったり飲んだりしてる人たち。

まごうことなきザ・お祭りの姿が、そこにはあった。

正直なところ、間の抜けた自分の「わあ」を聞くまで、これほどお祭りから遠ざかっていたとは思っていなかった。我が家はけっこう出歩くほうなので、この3年間も各地の公園を行脚し、外でご飯を食べたりしていたし。

夫から指令を受け、駅近くのスーパーでビールや食べ物を多少買った私は、合流地点までキョロキョロ歩いた。ああ焼き鳥がある、わたあめは末っ子が喜びそうだ、射的は長男だな、と子どものようにウキウキしている自分にすこし呆れつつ。

空いているスペースに座り込んでみんなでかんぱーい!としたあとも、子どもたちは私以上にキョロキョロしていた。それもそのはず、夜のお祭りなんて長男ですらあまり経験がなく、末っ子に至ってはお祭り自体がほとんど初めてなのだ。

ある程度お腹が膨れた子どもたちはすぐに立ち上がり、ハロウィンの飾り付けのなかで遊び始めた。周りの子どもたちも同様で、こんな落ち着かない食事もないな、と苦笑する賑やかさなのだが、妙に嬉しくてその姿を眺めながらビールを飲んだ。

どんどん冷めていくポテトをつまみながら、隣に座る夫に「なんか嬉しいねえ、子どもがみんな楽しそうだ」と何の気なしに言ったら、夫はひと言、

「こうでなきゃ」

と言った。

その瞬間、びっくりするくらい涙が込み上げてきて、慌ててビールで飲み込んだ。

本来ならお祭りなんてそれこそ飽きるほど行けるはずだったし、大きな花火だって見られるはずだったし、毎年あるだろうと勝手に思い込んでいたものが急になくなるなんて、そんな未来はまるで想像していなかった。

この2年半で失ったもの。

職業柄、今こうして過ごしている何気ない時間も、明日にはどうなるかわからない奇跡のようなものであることは、充分にわかっている。次男坊のとき↓にうっかりお空に旅立つかもしれなかったんだし、自分の毎日はロスタイムみたいなもんだなあと感謝している。

ただ、自分が失うならいいのだ。

この2年半は子どもから奪ったものが多かったんだということを、私はあのハロウィン祭りでつくづく感じた。それは本当に、大人である自分が失うものより何倍も大きく、そして悲しいことなのだ。

後先ばかり考える大人を横目に、するりと駆け出していく子どもたち。その背中を追いかけるのが大人の醍醐味だし、それができる環境や機会を与えてあげたいなあとつくづく思った夜だった。

子どもたちは本当に、ものすごいスピードで大きくなってしまう。子どもでいられる、という期間限定の贅沢を存分に味わってほしい。

「こうでなきゃ」

本当に、そのとおりだ。

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