掌編 「恋は裏切りing」

 今も、私が一番信用ならないと思っているのは、何の見返りもなく、人を助けようとする人間だ。例えば、朝倉。誰にでも愛想を振りまいて、いつでも自分の周りに人の壁を作っている。そして、その輪の中から一人でも脱落しようとすると、息吐く暇もなく手を差し伸べて「大丈夫?」と声をかける。そうすることで、壁は厚みを増し、より強固になっていく。朝倉に魅せられた奴も、そうでない奴も、彼女の壁でいることに魅力を感じ始めれば、仕事は終わり。あとは勝手に、肉壁だけが増えていく。
 けれど、私は知っている。朝倉がなぜ人に優しくするのか。
 人は朝倉を天使と呼びたがる。愛らしい笑顔や無垢な言動が、そういうイメージを喚起するのも分からないではないけれど、私はむしろ、天使と呼ばざるを得ない彼女の本当の顔を知りたいと思う。
 天使のような聖人なんて、この世にはいない。それは私がそう思っているという以上に、世界の真理なのだ。もう一度言おう。この世に天使や聖人の類はいない。勿論、天使と聖人の仮面はある。けれど、薄皮一枚の下には、汚れきった黒い血が流れているものだ。
 私をハメた山崎だって、そうだった。優しい笑顔で近寄ってきて、少しでも都合が悪くなれば、簡単に私を捨てた。めるで、私を売春婦のように呼び、憧れの先輩との踏み台にして、今もにこにこ笑顔で過ごしてる。
 だから、朝倉だって、おんなじだ。私に手を差し伸べる振りして、いつか、一番役に立つタイミングで私を捨てる準備をしているに違いない。
 私は知っている。朝倉がなぜ、人に優しくするのか。

「志保ちゃんって、山崎さんと仲良かったんでしょ?」
 六人で机を固め、なぜか誕生日席に割り当てられた私は、向かいの朝倉にそう尋ねられた。
「お、同じ中学だっただけ」
 どもったのを咳き込んで、ごまかし「志保ちゃんて、柄でもないし」と呟くと、少しの間を空けて、
「でも山崎さんが、志保と仲良かったって言ってたよ?」
 と朝倉は言った。
「最近は、あんまり……」
 居心地の悪さから、つい猫背になる。山崎の話をしたくないという一心で、口に弁当を詰め込むと、自然に話題は別の方向へ逸れていった。
 食事の後、朝倉が私の隣に寄ってくる。私を押しのけて、一つの椅子に座ろうとしてきたので、立ち上がろうとすると、今度は私の腕に抱き付いてくる。
「何……?」
「聞いたよ」
 朝倉がぐっと抱いた腕に力を入れ、私との距離を詰めてくる。
「中学生の頃、いじめがあったんでしょ?」
 冷や汗が背中を撫でるのを感じた。朝倉の試すような目と、山崎から受けた仕打ちが二重写しになって、脳裏をよぎる。
「し、知らない。私には関係ないし」
 朝倉の手を振りほどこうとすると、
「待って」
 朝倉の真剣な眼差しに、思考が停止する。
「山崎さん、志保のこと、また狙ってるみたいだよ」

 朝倉の話を総合すると、つまりはこういうことらしい。
 山崎と仲の良かったはるかが、高校に上がってから疎遠になったことを不満に思って、中学時代のことを、周りに言いふらしたらしい。山崎はそのせいで先輩と別れ、私が噂を流したと思い込んでいるらしいのだ。
「それ、何か笑えるね」
 山崎に対して、怒るというよりも呆れる気持ちが大きかった。まだ、そんなことしてるんだって。それでまた、懲りずに私の噂を流す気でいる。そんなの私には全然痛くないのに。
「何も面白くないよ」
 ぴしゃりと言い切られて、笑いかけた顔が固まった。いつも温和な朝倉が、眉を吊り上げ、真剣に怒っているのだ。
 私はいつもの調子で、冷笑気味に朝倉に尋ねる。
「それで、朝倉さんは、私にそんなこと教えて、どうするの?」
「山崎さん、また志保の変な噂が流す気でいるよ」
「だから、それがどうしたの? もうずっとそうだったんだから、慣れたよ」
 私がそう言うと、朝倉は机を叩いて、立ち上がった。
「慣れちゃダメだよ!」
 朝倉の身体に籠もった真剣さを思うと、その分だけ冷めていく私がいた。
「朝倉は、私をどうしたいの?」
 私の目を見て、傷付いたように朝倉の眉が下がった。彼女の意気も燃え上がらずに、くすぶる。
「どういうこと……?」
「私にどうしてほしい? 朝倉が私を助けてくれる代わりに、私は朝倉に何をしたらいいの?」
「志保?」
 とまどっている朝倉に、私は笑いかける。
「私が何を言ってるか、分からない? つまりさ、あなたは、噂を流すような人たちと何が違うの? 山崎が私を貶めようとしてるなんて、陰口して、私をどうしたいの?」
 朝倉の目を見て、私ははっきりと続ける。
「私は誰も信じない。噂一つで離れていく友達ならいらない。私に、優しくしないで」
 言って、すっきりした。胸のつかえが取れたように、呼吸が軽くなる。
「そういうことだったんだね」
 そう言って、朝倉は私を抱いた。
「え?」
「なら、代わりに、私の秘密を教えてあげる」
 それなら安心でしょ、と私だけに聞こえる声で彼女は言った。
「私はね、みんなが好きになってくれる私が大好きなの。いろんな人に囲まれて、大切にされてる時が一番幸せ。世界中のみんなが、私のこと好きになってほしいって思うよ。それは志保も同じ。だから志保、私のことを好きになって。それが、私のほしい見返り」
 朝倉の吐息に、首筋が熱くなった。というより、全身が燃えるように熱い。きっと顔も赤くなっている。ぎゅ、と抱きしめられたせいで息が苦しい。肩甲骨の辺りで、朝倉が爪を立てて、私を捕まえてしまった。
「私を好きになってくれたら、きっと私が助けてあげるから」
 朝倉は繰り返す。
「だから、私を好きになって?」
 身体のほてりはその日、家に帰って、眠りに就くまで続いた。ひどい熱で頭がぼんやりして、授業の記憶も薄い。一日中が朝倉に埋め尽くされた。
 髪に朝倉の匂いが染みついている気がして、何度も洗ったし、鏡を見ていると、私の目が段々と朝倉に似ている気がして、耳が熱くなった。ベッドの中で、いつまでもまぶたの裏から朝倉の顔が離れないから、つい名前を口にして、もだえた。
 胸が苦しくて、頭がぼーっとして、もうこのまま死んじゃいたいと思ったけど、最後にもう一度、朝倉の顔が見たいな、と思った。
 明日また会えたらな、って。

「ねえ、どうして不機嫌なの?」
 放課後、やっと朝倉が私の所に来た。
「別に」
「嘘。怒ってるでしょ?」
 彼女は私の目を覗き込んで来ようとするけど、私は顔を背ける。
「ねえ、どうして怒ってるの? ねえ」
 しつこさに負けて、つい反応してしまう。
「理由、当ててみてよ」
 私がそう言うと、朝倉はにっこり笑った。
「私が、朝、挨拶しなかったからでしょ」
 私は目元を厳しくして、やっぱり朝倉は危険だと思い直した。こんな奴のこと、好きになったら、不幸になる。
「にやにやしてる。当たったでしょ?」
「当たってない!」
 でも、裏切られるまでは一緒にいたいな、なんて……。
 もう裏切られてるのに。

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