BFC2 感想 Gグループ

「ミッション」  なかむら あゆみ
 「想像力の欠如」を指摘する時、指摘する側もすでに「想像力の欠如」に陥っているにちがいない。その意味で「想像力の欠如」はブーメランめいている。
 だから、今作の語り手の露悪的な態度は、それに対するエクスキューズに思えた。ミッションを固辞する態度も、嘲弄する態度も等しく、欠如的である。あまり益のある言葉とは思わないが、どっちもどっち、というのがふさわしいのではないか。

「メイク・ビリーヴ」  如実
 make believe とは、見せかけ、の意味らしい。
 テプラで作ったテープを至る所に貼る彼女は、既に名前のついたものに、新たに名前を付け直してしまう。それは、言葉と意味のもっとも基礎的な関係に基づいて行われる、正当な行為だ。
 言葉とは差異である。などと今更語る必要もないだろう。dogがdogであるのは、digとは違うからであり、それ以上ではない。意味が通るのであれば、いつ他の単語と入れ替わってしまっても、大差がない(この議論は確か、フランス語からなされたもので、象形文字、つまり絵を基にした漢字などに当てはまるかについて疑問が残る、という話が、ぼくがこの分野を勉強した時の一つのエクスキューズだった)。
 ともかく、話を戻そう。女は、この世のものに、新しい言葉を与える。既につけられた名前・単語・言葉は、その成り立ちからして、見せかけなのだから。

 余談だけれども、個人的に縁のある土地が二つほどでてきて、うれしかった。それがその土地の、新しい名前だとしたらと考え、眺める景色は新鮮だった、と付記しておく。

「茶畑と絵画」  岸波龍
 「ミッション」から続けて読んだので、一つ一つの短歌が、絵画のように額縁にはめられて、展示されているような気がしながら、読んだ。
 ちょっとづつおかしなところをもつ十四首。腕をへし折ると笑うおかしさ、マダラエイに赤面するおかしさ、どこでもいいから話きかせてとねだるおかしさ。単純化して、生きづらさとでも言ったら、ずいぶん楽なのだけれど、もちろん、それではこぼれ落ちるものが多すぎる。
 それと、最後の二首が、なんとなくつながりがあるように思えて、個人的に面白かった。猛烈に青い青空から、すとーんとギロチンが落ちてくるイメージ。

「ある書物が死ぬときに語ること」  冬乃くじ
 いきなり個人的な話で申し訳ないけれど、活字・書籍へのフェティシズムは持ち合わせていないのだな、と今作を読んで、思った。
 死ぬまでにやりたい百のこと、という映画が少し前にあったと思う。もしかすると、その百のリスト全てが、ある本を読了することで埋め尽くされてしまう人もいるのではないか。しかし、そうでなくとも人生は短く、本はあまりに多く、長大である。人生の内で、読みたい本を全て読み終えられるというのは、叶わぬ願いだ。
 それにしても、「書物が死ぬ」ということの意味が取れなくて、ほんとうにわからない、という気持ちである。

「Echo」  奈良原生織
 利己的な遺伝子、だっただろうか。人間を乗り物に、言葉や知性や遺伝子は、長い旅をする。それは、人の上に、新たな神を作り上げる行為にすぎない。人がなぜ産まれ、なぜ生きるのか、それを説明するために、人の外側に人を律するものを想像する。その営みの是非は知らない。
 ただ、言葉を吸い出す概念猿の描写のなまめかしさは、人には何かに律される欲望があるのではないか、という疑問を思い起こさせた。

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