見出し画像

掌編「一人ぼっちのレインコート」

 夜、雨音をかき消して、固定電話が鳴っていた。じりり、というコールが十、二十と重なって、部屋の天井にまで広がった音の響きは、雪のように降り積もり、フローリングの床を白く染めた。
 一センチほど積もったコール音には、猫の足跡があり、その足跡の数から、随分、長い間、コールが鳴り響いていたことが分かる。そして、電話台の脇には、幼い人の足跡がはっきりと刻まれ、彼女が一度、受話器を取りに来て、引き返した様子が見て取れた。
 足跡は廊下を過ぎ、二階へと伸びていく。階段を昇り、左へ曲がったすぐの所が、彼女の部屋なのだろう。開け放した扉の向こう側に足跡が続いており、部屋には、あらゆるものの残骸というべきものが散乱していた。食べかけのスナック菓子、書きかけのノート、一人分のシーツのしわなどが、外から差し込んでくる光の中、一人ぼっちにされていた。
 街灯の灯りが、雨を受け、灰青色に光る。
 窓際には、空っぽの金魚鉢が置いてあり、中にイミテーションのダイヤのピアスがあった。ピアスはなぜか、片方だけしかなく、また、彼女の部屋には、アクセサリーに類するものが、一つも見当たらない。
 鏡すらない、少女の部屋。
 外を通った車の光で、金魚鉢の中のピアスが、きらりと一瞬、またたいた。
 家と道路の境に立ち、それを見上げていた、黄色いレインコートの女の子が、耳に当てていた電話を切る。すると、家中に響いていたコール音が止み、辺りは雨音に包まれた。
 女の子はレインコートのフードをはね上げて、艶やかな黒髪を時雨に曝す。金魚鉢の置かれた窓に向かって、微笑みかけると、彼女は身をひるがえし、夜の雑踏の方へ消えていった。
 彼女の左耳には、ダイヤのイミテーションがきらめいていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?