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短編 「しまもよう」

 かなたの日焼けした指と、私のヘビのように白い指が絡まり、描き出すしまもよう。
 南から吹く風は生暖かく、防波堤に寝転ぶ私たちの身体をゆるく包み込んでは、べたべたと潮を含ませ、消えていく。午後の気怠い光に、海の水は油を流したみたいに穏やかだった。風は、ちょっとの波も立たない海に愛想をつかしたのか、すっかり止んでしまい、降り注ぐ太陽の光に焼かれる私たち。
 お尻の下では、じゅぅと音を立てて、水が蒸発し、鉄板みたいに熱されたコンクリートが作り出す、人間のホットケーキ。
 バターみたいにドロドロに溶けた人間の身体が、まるでホットケーキミックスみたいだ、と思えたら、どんなに幸運だろうか。
 甘い香りを放つ人間の体液。まるで海水のように塩辛い。いや、もちろん口にしたことなんてないけど。
 でも、ちょっと分かる気がするのは、鼻につんと来る、汗のにおいが人間っていう動物の本性じゃないかなって。
「何か、目眩する。私、熱中症かなあ?」
「かもしれないね」
 固く結び合った手と手の間には、じっとりを汗をかいて、ぬるぬる、ぐちょぐちょで不快なことこの上ない。そう、それはまるでナメクジが身体を重ねるように、じめじめと湿気っぽく、卑猥だ。
「飲み物ないの?」
「ないよ。あっちの海岸に全部、置いてきた」
「じゃあ、このまま死ぬんだ」
「死ぬんだね~」
 防波堤まで泳いできたというのに、身体はすっかり乾いてしまい、髪はぱりぱりと逆立ち、海水の冷たさも剥ぎ取られ、私たちはむき出しの暑さの中に野ざらしになっている。
「ここで死ぬなら、宿題なんて終わらせなければ良かった」
「宿題?」
「そう、麗奈と一緒に花火大会に行こうと思って」
「そっか。花火大会か」
 かなたは大の字になって、空を見上げたまま、ほっと息を吐いた。
「雲が高いね~」
 大きな入道雲が、水平線ぎりぎりから湧き上がり、巨人がそうするように、ぐーっと首を伸ばして、私たちを覗き込む。それ以外には、雲一つない快晴で、いやになるほど暑くて、じめっぽい。午後は、太陽の光が黄色っぽくなるので分かりづらいけれど、空はこれ以上ないってくらい真っ青だった。
「お父さんがさ、宿題終わらさせたら、花火見に行っていいって言うから、頑張ったんだ」
 私のため? とは聞けなかったし、聞かなくて良かった。聞けば、恥ずかしくて死んでただろうから。
「目眩、ひどいの?」
 蝉の声が、ダイナモや汽笛みたいに、ぼーっと響く。頭がぼんやりして、私もついにダメかもしれない。
「麗奈も目眩する?」
「何だかぼんやりするの」
 太陽があまりに眩しくて、涙があふれてきた。かなたと握り合っていない方の手をゆっくりとかざしてみて、持ち上げた腕が重く、小刻みに震えることに少しだけ恐怖を感じる。だらだらと額や背中を流れていた汗もすっかり引いて、血管から筋肉、内臓にまで熱が降り積もっていく。発散することを知らない熱は、頬に溜まり、赤面する時と同じに、顔が熱くなる。
 ゆるやかに死んでいく私の身体。まだはっきりとは見えないけれど、この一線を越えたら死んでしまうという、遥かなデッドラインを夢見て、一歩ずつ着実に、そこへと歩みを進めると、私の胸の奥から、底知れないよろこびが湧いてくる。
 それは私の希死念慮が生み出す幻なのか、熱でハイになった脳みそがショート寸前であるのか、今の私には分からない。
「麗奈、私と一緒に死ぬの?」
「一緒。……ダメかな?」
「多分、まだ死なないと思うよ」
 あはは、と青空みたいに底抜けに笑うかなた。
「そっか、まだ死ねないのかぁ」
「まだまだ。もっと苦しくなってくるよ」
 その言葉を聞いて、私は何故だかとてもうれしくなる。この程度じゃダメなんだ。もっと苦しくなかったら。そう考えるだけで、死ぬことは罰に相応しい気がしてくる。
「直に吐き気がしてくるよ。もっと目眩がひどくなって、今はどれほど死にたいと思っていても、そこまで行くと、死にたくないって心が叫び出すんだ」
 かなたは目を閉じた。頭の方から影が移動してきて、ぱくりとかなたの頭を飲み込んだ。
 空の上では、さっきの入道雲がさらに大きく成長して、太陽を隠した。よっぽど厚い雲なのか、辺りは怖いほど薄暗い場所へ変わった。
「麗奈は、私と一緒なら死ねるの?」
「分からない。でも、一緒なら寂しくないと思う。かなたは?」
「私は麗奈と一緒なら、何でもする。どこまでも付いていくよ」
 強い日差しとは別の理由で、涙がこぼれそうになった。胸の奥からせり上がってくる熱いものを、喉で差し止めて私はかなたのやさしさに寄りかからないよう、気持ちを切り替える。
 薄暗く、蒸し暑い雲の下の夏の日に、大きな音でサイレンが鳴り響いた。何だろう、と思っていると、すぐに広報が流れてきて、甲高い女性の声でこう言った。
「市内の気温が、三十度を越え、高音注意報が発令されました。不要不急の外出を避け、水分をよく取り、熱中症に気を付けましょう」
 広報は同じセリフを二度繰り返し、放送は切れたかと思われた。
「先月より多発している、連続死傷事件の犯人はいまだ逃亡を続けています。戸締りを徹底するようお願い申し上げます」
 眠ったように静かだったかなたが、ぱちっと目を開けた。
「そのかわいい殺人鬼さんなら、ここにいるよ」
 ねっ、と言い、かなたは笑う。
「私、やっぱり自首した方がいいのかな」
 かなたは唇をにんまりと三日月形にして、私の頬に触れた。
「麗奈はずるい子だね。当たり前のことでしょう? した方がいいのかな、じゃなくてね、本当はしなくちゃいけないんだよ。人を殺しておいて、逃げるなんてしちゃいけないことなの」
 寝転んだ私の上に、かなたが覆いかぶさる。繋いだままの右手がコンクリートに押し付けられて、痛む。ずき、ずきと脈が弾むたび、手の甲に刺さった小石が私の皮膚に爪を立てる。
 かなたは私を見下ろし、息苦しいくらい一生懸命に私を見つめる。滴る汗が、私の胸元へしみを作る。熱い滴は私に情熱を注ぎこむ、輸血液のように思えた。
「けど、麗奈はそのままでいて。それが麗奈らしさだと思うし、私はそんな麗奈が好きなの。私はいつまでも麗奈を愛し続けるよ」
 ずき、ずきという鼓動が、今度は私の頭の中に入りこんで、頭痛を引き起こす。ずき、ずき、ずき、と。
「わ、私だって、やめられるなら、やめたいよ」
「ごめん、麗奈。責めてるつもりじゃなかったの。ただ、麗奈のこと愛してるよって思っただけ」
「分かってる……。私こそごめんね」
 私はかなたから目を逸らす。ずき、ずきという頭痛は収まる気配がなく、むしろ頭蓋骨の中で膨らみ続け、このまま私の頭を弾けさせてしまうのではないか。
「麗奈」
 かなたの影が、そっと私に近付いた。潮でぱりぱりに乾いた、かたい髪が私の頬を刺す。目眩と頭痛でぶれる視界を、どうにかかなたに合わせると、私の顔の横に手を突き、かなたがこちらへ顔を寄せるところだった。
 かなたは私にキスをする。熱い塊が唇に押し当てられ、一瞬、息が詰まる。乾いた唇はささくれ立ち、ちくちくと痛い。かなたはそっと離れると、短く息を吐き、今度は深く私の中へ舌を突き入れた。かなたの身体は相変わらず、焼けそうに熱く、しなやかな肉が私の口内を蠢き、まさぐるのは、苗床を求め、土を耕す触手みたい。
 私の身体が、心が求められているという実感は、これ以上ないくらい私を幸せにする。私はここにいていい、かなたが全身を使って、私にそう訴えかける。私はよろこびを目一杯噛みしめながら、それでも私は人殺しだ、とその弾けそうなよろこびを腹の底へ押さえ込む。
 息を止め、悪人の私は生きるよろこびなんて捨ててしまわなくてはいけないんだ、と心で念じて、頭痛がひどくなる。
 かなたは私の髪をくしゃくしゃにして、猫でもかわいがるみたいに、私を一生懸命あいしてくれる。
 しあわせと不幸のマーブル模様が、私のおへその下でぐるぐる回る。
 人殺しの私を愛してくれたかなたは、もし私が殺人鬼でなかったら、ここまで私をかわいがってくれただろうか。こんな私が好きならば、人を殺さなかった私はかなたにあいしてもらえない。
 やっぱり、しまもよう。ぐるぐるとねじれ、ひねくれて、私の白と黒、海と空、雲と太陽は切っても切れない、刃にこびり付いた錆。
「……れな」
 かなたが、私の上に倒れ込む。首筋に顔をうずめ、ぐったりと私に身体を預けた。荒い息遣いを繰り返し、吐息の熱さに私は驚く。手を伸ばし、触れた額は思わず、手を引っ込めてしまうほど熱かった。
「かなた……?」
 空一面が大きな入道雲に覆われ、太陽の光はすっかり遮られてしまった。日差しがないぶん、いくらか涼しくなったように感じるけれど、まとわりつくような熱気はいまだ消えない。いつの間にか、蝉の声も聞こえなくなっている。
 私たちは奇妙な夏の静寂の中にいた。
 岬の突端にある灯台が暗い影に包まれ、輪郭がぼやける。さーっという砂嵐みたいな音が西の方から響き、勢いを強めていく。
 灯台を包んだ影は、次第にこちらに近付き、雲の下のかすかな光を飲み込んでいく。薄暗い空は一段と色を濃くして、海までを灰色に染める。
 影に波は毛羽立ち、水煙を上げる。虫の大群が羽を震わせるような、激しい音が続き、それはようやく私たちの目の前にやってきた。
 冷たい夕立が、私たちの身体を打つ。針のように鋭い雨粒が銃弾のように降りしきり、私は思わず目を瞑る。夕立の帳は、熱気を蓄えた夏の日差しに劣らない密度で、全身を痛いくらいに刺し貫く。
 雨が連れてきた風が、あの日の記憶をよみがえらせる。
 初めて、人を殺したのも、こんな夕立の午後だった。
 私が昔通っていた小学校の隣に、トタンで出来た、古い平屋の家があった。そこにはお腹だけが太って、細長い手足をジャガイモにくっつけたみたいな汚いおじさんが住んでいて、よく小学生にいたずらをされていた。
 小学校に入学してから、卒業するまで、いたずらは続いていたし、きっとそれよりも前にも、後にも、あのおじさんは汚く、古い家で暮らしているから、と小学生にちょっかいをかけられ続けていたのだろう。
 私は、彼に目を付けていた。
 殺しても、きっと誰もかなしんだりしない、どこかで死を待っているだけの、生きてない人間を私は探していたのだ。
 夏休みに入ってから、私は何度もおじさんの様子を確かめに行った。人が少ない時間帯はいつだろうとか、おじさんの家にはお客さんが来るのだろうか、ということを調べるためだ。
 近頃はあまりに気温が高すぎるためか、小学校で遊ぶ子どももいないみたいだった。誰もが涼しい家の中にいて、お年寄りだってむやみに外を出歩かないらしい。
 おじさんの家は、そういう意味では無防備も同然だった。古い家だから、鍵も弱々しく、クーラーのついていない家に一日中、ひきこもっているおじさんは、夏バテしてるのか、いつも疲れた様子だったし、やるのなら、この夏休みの間しかない、と私は思った。
 私はその日、捨ててもいい服を着て、バッグにナイフを隠し、おじさんの家に向かった。その日もいつもと変わらない猛暑日だったけれど、緊張していた私は、熱さなんてほとんど感じなかった。
 それでも汗をかきながら、小学校に着くと、巡回中のパトカーを見かけた。はっと私が気付いた時に、あちらも気が付いたみたいで、ゆっくりとこちらに近付いてきて、隣に止まった。
「こんにちは、今日も暑いね」
 助手席に座ったお巡りさんが、そう言った。
「どこまで行くの?」
 今、思い返しても、心臓が飛び出るような心地がする。汗だくになった私は、あの時も軽い熱中症だったのかもしれない。ずき、ずき、と痛む頭が、あの日の記憶を鮮明にする。
「友達の家に行くんです」
「近いの?」
「はい」
「そっか、今日は猛暑日だっていうから、熱中症には気を付けてね」
 お巡りさんはそれだけ言うと、パトカーを走らせて行ってしまった。
 私は車の影が見えなくなるまで、待ってから、足をおじさんの家の方へ向けた。
 もう何十年、そこに立っているのか分からない、トタンの家。すりガラスの窓は歪んでしまって、隙間ができている。軒には私の顔よりも大きな蜘蛛の巣が張っていて、捕まった蛾を女郎蜘蛛がゆっくりと食べている所だった。
 私は引き戸を叩いた。がしゃん、がしゃんと思ったよりも大きな音がして、驚いた。中から物音がして、すぐにおじさんが出てくる。
「……どうかしたの?」
 いつも小学生にいじめられているからか、訝し気な顔をして、おじさんは言った。
「友達が熱中症で気持ち悪くなっちゃったみたいで、冷たいお水、もらえませんか?」
 練習通りの台詞。おじさんはまだ疑わし気な表情をしていたけれど、私を家に上げてくれた。
「お友達とは、どこで遊んでたの?」
 冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、おじさんが尋ねてきた。
 私は質問には答えないで、バッグからナイフを取り出す。手が震えるから、何度かグーパーを繰り返して、緊張をほぐした。
 何回刺したら、人は死ぬんだろう。あんまり、おじさんを殺すことに集中すると胸がドキドキして、苦しくなるので、別のことを考えて、紛らわせた。
「っ!」
 おじさんが振り向いて、ナイフに気付いた。
 瞬間、私は踏み出して、おじさんの丸々と太ったお腹にナイフを突き立てた。やわらかそうにぶるぶると揺れていたお肉は、想像以上にかたくて、体当たりと同時に、突き刺したナイフは刃の半分も、刺さらなかった。思い切り握っていたはずの柄も、お肉に弾かれた衝撃で指が滑り、手を痛めてしまった。
「な、なっ!」
 おじさんは突然のことに、しりもちをつく。ラッキー、と私はおじさんのお腹に刺さったままのナイフを抜き取り、ちょうどいい高さになった喉元へ次の一刺しを、と考える。
「待って。待って!」
「うるさい」
 ごぼっ、ごぼ、と下水が詰まったような音がしていた。おじさんは喉からあふれてくる血を抑えて、私から逃げようと、四つん這いになって、部屋を横切っていく。
 ナイフと私の手はおじさんの血で汚れて、ぬるぬると滑る。スカートの裾で血を拭い、おじさんの後を追いかけた。
 無防備な背中に、ナイフを振り下ろす。おじさんの身体を支えていた腕が折れて、おじさんはばったりと倒れ伏す。私はその上に馬乗りになって、何度もナイフを突き立てた。
 おじさんの息が絶えたあと、私はお風呂を借りて、血を洗い流している所だった。ばらばらばら、と音がして、急に雨が降り始めた。トタンの屋根は雨を受けるたび、雨垂れの音を家中に響かせる。ばらばらばら、の三拍子。一仕事終えて、すっかり上機嫌だった私は、ワルツを踊るようにステップを踏み、ワンツースリー、ワンツースリーと口ずさみながら、くるくる回る。
 後にも先にも、こんなに幸せな気分だったことはない。これこそが私の生きる道だと思った。吐き気がするくらいみにくくて、虫唾が走るほどひどい行いだとしても、これが私を私たらしめるものである以上、手放せるわけがなかった。二重螺旋のしまもように刻み込まれた、私の異常な性癖は、どれほど人を苦しめようと、私が私を楽しむのに必要なものだったのだ。
 おじさんの家を飛び出し、私は夕立に打たれながら、家へ帰った。アスファルトの表面の油が、雨に浮かび、独特の臭いを放つ。水溜まりには、虹色のしまもようが出来上がっていた。

 夕立はまだ降り続いていた。初めは生ぬるかった雨粒も、次第に鋭さと冷たさを増し、夏のうだるような空気を穏やかに変えた。私たちの火照った身体も雨を受け、冷えていく。
「麗奈」
「かなた、起きた?」
「寝てないよ」
「知ってる。ちょっと死んでただけだもんね」
「そう、ちょっと死んでただけ」
「生き返って良かった」
「生き返らなかったら、かなしい?」
「かなたが死んだら、私も死ぬ」
 私がそう言うと、かなたはふふ、と笑った。
「うそつき。死にたがりのくせに」
「私も死ぬよ?」
「知ってる。でも、私が死ななくたって、麗奈は勝手に死ぬつもりだもん。そんな風に言われても、うれしくない」
「死ぬって言ってるのに、うれしいとか、うれしくないとか、言うかなたが悪いよ。そこは死んじゃダメって言うんだよ」
 私の胸に顔をうずめていたかなたが、顔を上げ、私の目を見つめた。いじわるをするときの癖で、かなたは唇を三日月に歪める。
「麗奈は、私にそう言ってほしんだね」
「違う」
 かなたの言葉は私の胸に、すとんと落ちてきて、びりびりって心を痺れさせた。
「私はそんなこと言ってない」
「分かってるよ。麗奈は死にたがりだもんね」
 かなたは私の言葉を肯定的に受け止めつつも、私の頭を撫でたりして、子どもをあやすみたいな態度だ。
「馬鹿にしてる……」
「してないよ」
「馬鹿にしてるよ。かなたは、私の気持ち、分かろうとしないんだもん」
 夕立の勢いがより一層、強くなる。私は雨の中にいるというよりも、雨音の中にいる感じがする。何千、何万という雨粒が海に落ちる音は壁のような形で、重さを伴って、迫ってくる。私はその重さに負けないように、大きな声を張り上げた。
「私は死にたいの! 人殺しなんて生きてちゃいけないだよ」
「それって、本気で言ってるの?」
「……本気だよ」
「うそだ。麗奈はそんなこと、これっぽちも思ってる訳ない。麗奈はずるい子だもん。いつも自分の安全ばっかり考えてる、最低の屑だもんね」
「ちがうよ」
「違わない。麗奈は罰してほしいだけ。罪に見合った分だけ苦しんだら、またもとの通りに生活できると思ってる。だけど、それは罪を償いたいなんて、立派な考えじゃなくて、ただただ、自分がかわいいから。そうでしょ?」
「そ、そんなこと言わないで。私だって、つらいんだよ」
「なら、認めて。私は死にたくなんかないって」
 私の目をじっと見て、かなたは真剣な顔をしていた。私が言うまで、一歩も譲らないという強い意志を感じさせた。
「……かなた」
「麗奈、言って」
 私がためらっていると、かなたは眉を寄せて、不機嫌な顔になる。下唇を噛みしめて、どこか後悔を含んだような。
「私は、生きてていいかな? 生きたいって言っても……」
 かなたは、ふいと目を逸らした。
「分からない。だから、さっきのは私のわがままなの。本当は麗奈のためじゃなくて、私が麗奈と一緒にいたいだけ。それだけの理由なんだ」
「……そっか」
「だけど! ここにいるから。麗奈に生きていてほしいっていう人間が」
 さぁーと雨が引いて、夕立が止んでいく。降り始めた時と同じように、西から夕立が薄れ、同時に、雲も晴れて、辺りが明るくなっていく。
 入道雲が私たちの上を通り過ぎたことで、蝉のうるさい声も戻ってきた。
「私、かなたと一緒なら大丈夫だと思う。思いたい。ダメかな?」
「ダメ……じゃないと思うよ。ううん、いいと思う。私は麗奈に生きててほしいから」
「かなたは、私が人殺しでもいいの?」
「きっと、それが麗奈なんでしょう? 私はそんな麗奈を好きになったんだと思う」
 それを聞いた時、うれしくて、つい頬が緩んだ。
 すると、私の顔を見て、かなたも笑った。少し恥ずかしい気がしたけれど、私の笑顔を見て、笑ってくれる人がいるなら、それはとてもしあわせだなって。
「かなた、一緒に花火を見に行かない?」
 かなたは、ふふんと上機嫌に鼻を鳴らして、
「麗奈の浴衣姿が見たいな」
 なんて言うから、私も
「じゃあ、かなたも浴衣で来てね」
 と答えた。
 私たちは二人して赤面し、顔を背け合った。せっかく夕立で涼しくなった身体も、かっかと熱くなってしまう。
「あ、暑いね」
 私がそう言うと、かなたはすっと立ち上がり、私の手を取った。
 あ、と思う暇もなく、私はかなたに引かれて、海へと落っこちた。
 私とかなたの身体が海面を割り、鼓膜を爆弾が破裂したみたいな音が揺らした。飛び込みの音が静まると、耳元を泡が滑っていき、ぱちぱちとサイダーみたいに弾けた。
「麗奈、ずっと一緒だよ」
 立ち泳ぎしながら、くるくると回る私たちは、きっと夏の真っ青なしまもようだった。

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