日記 12月17日
仕事を終えて帰るとき、空がとても綺麗でした。丸々と太った月が東の空に浮かび、すっかり影になった木々の枝の向こうに、夕焼けと夜空のグラデーションが見えていました。
空を見上げた瞬間、この気持ちを誰かに伝えたいな、と思いました(誰かと書きましたけど、間接代名詞的な who で、想定されている誰かが自分の中にいます)。そう思えることが、うれしいな、と思います。雨のせいで気持ちが落ち込んでいたので、助かりました。
余談ですけど、景色を見て、綺麗だなと思っても、写真に撮りたいと思わないことに改めて気付きました。ツイッターもそうなのですけど、感動を伝えるときに、スマホを取り出して、アプリを開いて、それから感動を言葉へ変換して云々……という過程を経る内に、感動が薄まっていくので、基本的には、自分に向いてないんだなと思っています。
それとは別に、景色を映すのに写真が向いてないと思うのは、自分にとって景色がフィクションではないからなんだ、と思います。
どういうことかというと、写真の映り方というのが自分の見え方とは違うことが、気になるわけです。もちろん技術の問題もあると思います。けれど、それ以上に写真は、写真という作品という感じが強くします。ツイッターで岐阜城と満月の写真を見たことがあります。望遠レンズで撮った、満月がとても大きく画面に映っている写真です。あるいは、長時間露光で撮影した星の写真を見るときも同じなのですが、それは景色を映したものというよりも「写真」であることに意識が向きます。それはそれで綺麗ですけど、景色を目で見るのとは別の美しさだと思います。
それと同時に、自分は芸術としての写真の良さがさっぱり分からないのですけど(上手に感得できない、という意味です)。
……余談の方が長くなってしまった。
明日から寒いそうなので、今日は布団を一枚増やして寝ます。以上。
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