日記 4月9日

 コバルトの短編に送るやつを書いている。書いていて毎回思うのは、エピローグを書くのが苦手だということ。もう終わりにしよう、もう終わりにしよう、と念仏のように頭の中で唱えながら文章を書いていて「あ、ここで切れる」と思うと、もう書きたくない。けれど、そこで切っても仕方がないと思うので、渋々続けるはめになる。場面の終わりのところって、俳句の切れ字みたいだな、とこの一年くらい思っていて、「ほしとんで」で見たのだけれど、松尾芭蕉は日本語の五十音全て、切れ字になるという意味のことを言っていたらしく、ああそうだよな、と勝手に納得している。切れ味よく、場面を切れると大変気持ちがいい。

 ケストナーの「飛ぶ教室」を読んだ。ドイツ文学には縁がない。というか、海外文学全般。読むのは、国内小説が割と多い。で、そういう縁が薄いものを見るときは、他人を頭の中に召還しておくと、自分との縁が結びやすいと思う。なので、ドイツ文学はえっちと思いながら読んでいたら、市民菜園に暮らす学のある胡乱な酒場のピアニスト(禁煙さん)、というかなりえっちな人がでてきてびっくりしていまった。しかも、子どもに人望の厚い舎監(正義さん)が、彼の古い親友で、手元に置いておくためにギムナジウムの校医のポジションを斡旋するというえっちムーブをしていた。何より一番のお気に入りは、二人で街の酒場へ行って、ギムナジウムの子どもたちの話題になったところ。
 子どもたちを散々褒めて、それを見守る立場にいる自分たちを確かめ合った後に「ぼくら、あの連中から好かれてるんだよね」と言う場面が、すごくよかった。

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