ドラゴンが降った日 2/2


 俊尚がおばあさんに連れてこられたのは、とある公民館の地下だった。来館者カードを首から下げ、二人はダクトやパイプが丸見えの湿っぽい通路を歩いていく。
「あの、本当にこんな所で会があるんですか?」
 おばあさんがすたすたと先へ進んでいくので、俊尚は置いていかれないよう、早足で彼女を追いかける。
「まあ、この老人についてきなさい」
 おばあさんはそう言うと、通路の隙間に消えた。慌てた俊尚が、そちらを覗き込むと、
「あなたも早く来なさい」
 と声だけが返ってきた。真っ暗な中、お婆さんの足音が確かに響いている。
 俊尚は頭を掻いて、深く息を吐いた。まったく、どうなっているんだか。これじゃまるで秘密結社の会合のようじゃないか、と心の中で愚痴を言いながらも、俊尚は目元を険しくした。付いてきた以上、帰る訳にもいかないな、と覚悟を決め、俊尚は後に続いた。
 果てのないくらやみが、彼を包み込む。ともすれば、天地も分からなくなるほどのくらやみだった。俊尚は壁に手を沿わせ、自分の足音を確かめて、ゆっくりと前ヘ進んだ。
「来ましたね」
 くらやみへ飛び込んだ俊尚の耳元で、誰かが囁いた。
 俊尚が飛びのいたのと同時に、ぽつぽつと火が灯っていく。
「ようこそ、痛みの会へ」
 蝋燭の火が、ざっと百は並ぶ。それを持つ会員たちは、揃いのローブを被り、じっと俊尚を見ていた。
「あの、ここは……?」
「ですから、痛みの会の会合ですよ、俊尚さん」
「どうして、私の名を」
「長谷川さんが、教えてくださいましたよ」
 おばあさんが、人の群れの中で、無邪気に手を振っていた。俊尚は見知った顔を見つけて、ひとまずほっとする。しかし、この信用ならない集団の中に放り込まれたことには、拳をぎゅっと握った。
「会長から、挨拶がございます」
 白装束に身を包んだ会員たちの間から、一人の青年が俊尚に向かって歩いてくる。彼は灰色のパーカーにジーンズという軽装で、俊尚に手を差しだした。
「初めまして、ぼくは千田といいます。こちら、ドラゴン被害者痛みの会の会長を、不肖ながら務めております。しかし、さぞ驚かれたでしょう?」
「は、はあ……」
 つれない俊尚の態度に、千田は強引に彼の手を握った。
「お会いできて光栄です」
「……あの、申し訳ありませんが、まだ状況が飲み込めていないのですよ」
 千田はにやりと笑った。
「分かります。ぼくも初めはそうでしたからね」
 後ろに控えた会員が、細々と笑いを漏らした。
「大丈夫。決して怪しい集会ではありませんから。それとも何か、お金や命でも奪われるとでも思っていらっしゃるんですか?」
「はあ、実はそうではないかな、と」
 正直な俊尚はすぐに頷いた。周りでは、また笑いが起こる。
「何せ、田舎から出てきたばかりですから」
 それを聞いて、千田が気軽に俊尚の肩を叩いた。
「どうぞ、心配なさらないでください。ここにいる方はみんな、あの日、ドラゴンに大切な人を奪われた方たちです。この集会に集まったのは、誰もが同じ傷を抱えた仲間なのですよ」
 千田は咳払いする。
「かく言う私も、実はそうなのです。あの日、私は恋人と東京タワーに上っていました。東京出身の彼女は、地元だからこそ却って、東京タワーに上ったことがなかったのです」
 こんな話、退屈ですか? と千田は言った。
 俊尚はお人好しの顔をして、否定する。
「その日は良く晴れた日で、最上階の特別展望室から、はっきりと富士山が見えました。大はしゃぎのぼくらは、何度も望遠鏡にお金を入れ、代わりばんこに中を覗いては、どこに何があるなんてことを報告し合いました」
「それで、ドラゴンが降ってきた?」
「ええ、ぼくたちは下の水族館へ行き、ランチへ行こうと話をしていた所でした。そこへあれが落ちてきたのですよ。初めは何が起こったのか、分かりませんでした。強い揺れがありましたから、地震を疑ったくらいです。まさか、ドラゴンが空から降ってくるなんて誰が予想したでしょうね?」
 千田の沈鬱な表情に、俊尚のまつ毛にも暗い影が落ちる。
「地上は大パニックでしたよ。上から鉄骨が降り注ぎ、外へ出ようとしたぼくらは警備員によって、中に押し止められました。中では、もう建物の崩壊が始まっていたのに、です。勿論、そんなこと知る由もなかった彼らを、責めることはできません。けれど、彼女はそれによって死んだのです」
 非常階段の九十七段目、と千田は呟いた。
「よく覚えています。そこに立っていたのがぼくでなく、彼女であったなら、ぼくはここにいないでしょう。声を出す暇もありませんでしたよ」
「千田さん……」
 会員の一人が声をかける。
「彼女はぼくの目の前で、落ちてきたドラゴンの足に潰され死にました。ぼくは、彼女の――」
 声をかけた会員が、千田の肩を掴んだ。
「もう、いいでしょう?」
 我に返った千田は、俊尚の方へ向き直った。
「いや、これは失礼しました。長々と話をしてしまって」
 俊尚は、無理に笑顔を作るこの青年に同情した。愛する人の死を、目の前で経験してしまったことの辛さ。彼は自分の手が汚れたもののように感じるだろう。生き残ってしまった者の、そのどうしようもない軽薄さが、いつまでも彼を苛み続ける。たった一歩違っただけで生と死が決められるという、世界の理不尽さを理解できるほど、彼は老いていない。
「何と言っていいか……その」
「長谷川さん、ぼくは大丈夫ですよ。何度も考えたことです。それに、今は痛みの会がある。それでぼくには充分なんです」
「そうか、それはよか――」
「――ドラゴンを殺す。長谷川さんもそう思って、ここへ来たんでしょう?」
 俊尚は黙った。千田の目が怪しい光で満ちていく。その後ろで控える会員たちの灯りが、ゆらゆらと燃えた。
「ドラゴンが憎くて憎くて仕方ない。痛みの会は、そんな人たちの受け皿として発足しました。ぼくらの抱えた痛みは、奴の血で濯ぐことでしか癒せない。ぼくらの生活を壊した奴を殺すことで、ぼくらはようやく新しく始められる。あなたも、そう思うでしょう?」
 黙ったままの俊尚を見かねて、別の会員が声をかける。
「ほら、千田さん。あんたの話は情熱が籠もりすぎるんだよ。この人だって、驚いてるじゃないか」
 あはは、と千田は頭を掻いた。ぼくの悪い癖ですね、と笑う。
「ですが、驚くのはまだ早いですよ」
 俊尚の頭は状況に追いついていない。
「ぼくらはついにドラゴンを殺す力を手に入れました」
 ただ、動かせる人間が見つからなくて、と千田は言う。
「ご覧ください。これが痛みの会、究極の兵器」
 千田が指を鳴らす。天井が二つに割れ、光が差し込んだ。
「ぼくらはずっとあなたを探していたんですよ、長谷川さん」
 公民館の地下から現れたのは、五十メートルはゆうにくだらない、巨大ロボットであった。
「ドラゴンスレイヤー。まさしく、ドラゴンを殺すために作られたぼくらの武器。そして、ついに見つけたのです。そのパイロットを」

 廃校の中は、外に比べて、時間の流れが遅いらしい。アニマが魔法をかけたのだ、と言っていた。死体の腐敗が進まないのも同じ理由だそうで、それはつまり茉莉の身体についても同じということだろう。
「二十四」
「何が?」
 体育館で寝転ぶぼくらは、身体を離して手を握り合っていた。
「はめ殺しの窓の数。片側が十二で、両方合わせて、二十四」
「何で、そんなの数えたの?」
「別に。暇だったから」
 と嘘を答えるぼくに、やましさはない。ただ珍しいと感じたのだ。窓は開け閉めするものだと思っていたから、はめ殺しの窓ということが上手く理解できない。心の窓という言葉があるので、窓は何かを取り入れるためのものだと勘違いしていたのかもしれない。
「光が差し込むだけ、ましかもね」
「茉莉、ましってどういう意味?」
「はめ殺しだと、風は入ってこないでしょう。でも、ガラスの窓なら、光が差すから」
 ふうん、と返すけれど、釈然とはしなかった。光が差して、何かを動かすことはできるだろうか。毎日、同じところを照らし、それで何を?
「ここにいると、季節が分からないね」
「突然、何?」
「外だと、紅葉とか始まっているかなって。ここの窓からじゃ見えないからさ」
 別に見えなくていいけど、と愚痴る茉莉は、恐らく本気で言っている。
「ここから出たら、紅葉を見に行こうよ」
「やだ。銀杏、くさいんだもん」
「じゃあ、銀杏のない所」
「……チアキが行きたいなら、行ってくれば?」
 そうじゃなくて、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。アニマに貫かれた右手の痕がじりじりと痛んで、どうしようもなく焦る。汗の吹き出しそうな額を拭って、深呼吸した。
「茉莉と行きたいんだ」
「それ、口説いてる?」
 そう言って、茉莉は大口を開けて笑った。
「じゃあさ、する?」
 ぼくの上に馬乗りになって、茉莉は服に手をかけた。
「そうじゃなくて!」
 ぼくは茉莉を止め、見えているお腹から目を逸らした。
「なら、どういうのが好みなの?」
 茉莉の手が、ぼくの鎖骨を撫で上げる。
「私、チアキと一緒なら寂しくない」
 唾を飲み込むと音が鳴った。茉莉に包まれた頬が、ひどく熱い。意識しなくても、茉莉に触れられた所が分かるくらい、ぼくの身体は正直だ。
「この間は、何ともなかったのにね?」
「仕方ないだろ」
「どうして?」
 答えようとしたぼくの口を、茉莉は強引にふさいだ。
「それ以上言われたら、殺せなくなっちゃう」
「なら! どうしてなんて聞くなよ……!」
 ぼくの首にかかった茉莉の手を取り、体勢を逆転する。彼女の両手を抑えつけ、上から彼女を見下ろした。横に流れた髪の毛が、茉莉の首に絡み付いて、植物の蔓みたいに縛り上げる。
「こっち見ろよ」
 わざとらしく顎を上げ、茉莉は誘っている。脆い首が露わになって、指先がぴくりと疼いた。今なら、茉莉を自由にできるという快感が背骨を走る。
「卑怯だ」
「卑怯じゃないよ」
 悪びれる様子もなく、茉莉はぼくを見て、好きだよと言った。
「ぼくのことを殺そうとしたのに?」
「私、チアキと一緒ならそれでいい。生きてるとか死んでるとか関係ないよ」
「バカ! 死んじゃったら終わりだろ!」
 茉莉は真っ白な涙を流した。つるりと綺麗な丸の、見透かせない白色の粒が、彼女の瞳に溜まってはこぼれる。ぼくにはもう何が何やら分からない。ぼくのことを好きと言ってくれる彼女が、ぼくと一緒に生きたいとは言ってくれない。
 茉莉はぽろぽろと涙をこぼして、辛そうに眉をしかめる。その痛みに、ぼくは触れたい。
 抑えつけた彼女の手は、うっすらと白く痺れていた。
「ぼくも好きだ。茉莉のこと、好きだよ」
 これじゃダメなんだろうか。これじゃあ、まだ足りないのか?
 茉莉は死体の方を眺めている。誰も同じ格好をして、同じように眠る屍を。
 息苦しいくらいの沈黙が体育館を覆い尽くし、死体からは蜃気楼のように、目には見えない念が立ち上る。それに名前を付けるのは難しくない。怨念、嫉妬、羨望、プレッシャー。
 息をする度に、この靄のようなものを吸い込み続けたら、ぼくも茉莉のようになってしまうのだろうか。

 あっ、と口を突いて出た。
 夕暮れの校舎に地響きがして、体育館がきしんだ。
「何、これ?」
 揺れは何回も続き、段々と大きくなっているようだった。
「二人とも、屋上へ出ろ!」
 頭の中に、アニマの声が響いた。ぼくらは顔を見合わせる。
 が、茉莉はすぐに目を逸らした。
「行くなら、行ってくれば?」
 ぼくは茉莉を誘おうとしてやめた。今のぼくらには、言葉がないと気付いたのだ。お互いを繋ぐだけの、意味ある何かが。
 ぼくは渡り廊下を抜け、屋上まで一直線に駆け上がった。
 アニマが手配していたのか、屋上の扉は既に開け放たれており、オレンジの空の下へ出ると、アニマが翼を広げ、山の方角を睨んでいるのが見えた。
「アニマ、これは?」
「チアキ、あれを見てみろ」
 示された山の端をじっと見つめると、夕陽を背に、何かがこちらへ向かってくるのが分かった。真っ黒なシルエットが、山の向こうで上下している。
 アニマに、あれの姿が見えているのか、尋ねようとした瞬間、
「来るぞ」
 シルエットの天頂が光った。熱風が吹き抜ける。ものすごい音が耳を突いたと思うと、空気が縦に裂けたように叫び声を上げた。
 気付けば、ぼくは吹き飛ばされ、アニマの翼に受け止められていた。
「い、今のは?」
「奴からの攻撃だ。見ろ、弾いた翼に穴があいてしまった」
 言葉の通り、アニマの左翼には丸く穴が見えた。いや、それよりも、ぼくが立っていた屋上のコンクリートが、バターのように溶けだしている。
「奴は、私を殺しに来たんだな」
「随分、落ち着いているみたいだけど」
「当然、予想されることだ。私は君たちの同胞を殺めたのだからな」
 シルエットが、山から顔を出す。それは山頂に手をかけ、ぐっと身を乗り出した。
「巨大、ロボット……?」
 ヒト型をしたそれは、そうとしか言いようがなかった。丸い半球型の頭に、鋼鉄製のボディ。重々しい挙動で、こちらへ近付いてくる。
「それで、アニマはどうする? 戦うのか?」
 彼女は静かに目を閉じた。
「殺されるつもりだ」
 瞬時に茉莉のことが思い浮かぶ。殺されるつもりでいる、その言葉の重みがずっしりとぼくの肩にのしかかる。
「なら、ぼくを下ろしてくれ。茉莉の所へ行かないと」
 この間も、巨大ロボは一歩一歩、近付いてくる。
「さあ、早く行ってやれ。もたもたしていると、私が死んでしまうぞ」
 アニマはぼくを中庭へ下すと、大きく翼を広げた。
「奴は、私が引き付ける。安心して、行け」
「それじゃあ……」
 ぼくが行こうとした瞬間、アニマが言った。
「その右手を使うべきかどうか、よく考えるんだな」
 今度こそ、別れを告げ、ひたすら校舎を走った。体育館までを最短で駆け抜けると、そこに茉莉はいなかった。
「茉莉?」
 視線を巡らせ、体育館の中を一瞥する。死体が整然と並んでいるだけで、いつもと何も変わらないように見える。一瞬、この中へ茉莉が帰ってしまったのかという考えがよぎったが、彼らの数は変わらない。
 ぼくはコイン大の痣のある、自分の右手を見つめた。
 例えば、ぼくにはこの中の誰か一人を選んで、生き返らせることが出来る。慰霊碑の前に跪いて、涙を流す人の元へ、大切な誰かを帰してあげることが。
 そうしない理由は何だろうか。ぼくには関係ないから? 茉莉のことが好きだから? ぼくの目の前で話したり、動いたりするのが茉莉だから?
 視界の端で何かがよぎった。そちらへ目を向けると、茉莉がグラウンドへ向かって、走っていくのが見えた。
「茉莉……!?」
 彼女はグラウンドの草を掻き分け、夕陽に向かって、走っていく。ぼくも体育館を出て、その後を追う。
「っ……!」
 外へ出た瞬間、もう一度ロボットの光が放たれ、暴風が吹く。その風に煽られたのか、雑草の隙間から見えていた、茉莉の姿が見えなくなる。
 空のアニマの影が、グラウンドを覆って、飛び去った。
「茉莉!」
 ぼくも草の中へ分け入っていく。背が高く、葉の堅い草は、ぼくの頬や指先を切った。大した傷でもないのに、ひりひりと痛むのは、胸の奥の焦りに似ていて、いたずらにぼくの身体に火を点ける。
 茉莉がいた辺りに、見当を付け、草を蹴倒して進む。この辺りに倒れているはずなんだ。
「……してよ」
 声がした方へ振り返る。
「殺してよ!」
 茉莉は、巨大ロボットへ向け、両手を広げて、叫んだ。
「私を殺して!」
「茉莉!」
 ぼくが叫んだ瞬間、もう一度、光が走った。耳をつんざく大気の悲鳴、ぬるい風がそれに続いた。
「そうじゃない! 私を、私を殺してよ……!」
 アニマが低い声と共に、山影に落ちた。ロボットがそれに近付いていく。
 ぼくはようやく茉莉に追いつき、その細い手首を掴む。
「離して!」
 茉莉は、ぼくのことを本気で殴る。茉莉の強い抵抗に、殴られた所とは別の場所がまた痛む。必死の形相で暴れる茉莉は、足を絡ませて、つんのめった。当然、その手を掴んでいたぼくも、つられて倒れる。
 彼女をどうにか草叢に押し倒し、両手を地面に抑えつける。そうして、茉莉は抵抗をやめた。
 茉莉はあんな悲痛な叫びにもかかわらず、涙を流していなかった。そこで、ぼくはようやく茉莉を死へと追いやるものの存在に気付く。
 罪悪感。
 たった一人、あの日から甦ってしまったことの意味を、茉莉は背負い込んでいたのだ。殺して、と叫ぶ心の内には、体育館に並ぶ死体が住み着いている。
 アニマではなく、私を殺してほしいと願う茉莉には、幸せになってはならないという呪いが見えた。
 荒い息を整え、茉莉の目をしっかりと見つめる。
「茉莉、ぼくじゃダメかな」
 茉莉は乾いた目でぼくを見返していた。
「ぼくが殺してあげる。それで、どう?」
 アニマの叫び声。それでも、ぼくは茉莉から目を離さず、その手をしっかりと握る。彼女の肩からは、肉が引きちぎれる音がして、血が流れた。
「痛くない?」
 ぼくは奥歯を精一杯噛み締めて、悲鳴が漏れないようにする。
「平気。腕をもがれているのは、私じゃないもの」
 ぼくらの上に覆いかぶさる影が全てを物語る。アニマの美しい翼は、ロボットによって引き裂かれ、力の限りにもぎ取られる。彼女の肉は、一つ一つが糸のようになり、ぶつぶつと音を立てて、ちぎれていく。ロボットの握る骨は、翼をもぐのに力いっぱい掴まれたせいで、粉々になり、水のようにぶよぶよとした感触だ。
「どうして、チアキが泣くの? 痛い思いをするのは、アニマや私なのに」
「こんなの何でもなかったんだ。前までは何も感じなかったのに、今は痛いんだよ」
 茉莉は、ぼくの全てを見透かした上で尋ねる。
「教えて、チアキ。どうして痛いの?」
 巨大ロボは、アニマの角に手をかけた。
 茉莉の首に、黒い染みが浮かび上がるのを見て、ぼくの手はどうしようもなく震え、引き結んだ唇の奥からは、声にならない悲鳴が漏れる。どうして、茉莉なんだろう。どうして、茉莉がこんな辛い目に遭わなければいけないんだ。
「チアキ、痛いの?」
 はたり、とこぼれたぼくの涙が、茉莉の頬を伝う。
「痛いよ、君に出会ってしまったから」
 茉莉はぼくの手に頬を寄せ、
「……うれしい」
 と言った。
 一瞬、その姿にぼくは見とれる。い、と発音した唇が、横に伸びて、えくぼの影を作った。のんびりとした瞬きの後、開いたまつげで、きらめく滴が弾けた。
 ぼくが喉へ手をかけると、茉莉はやりやすいようにと、顎を上げた。ぼくの手の中で、茉莉の喉がみしりみしりと悲鳴を上げ、目が真っ赤に充血した。
「チアキ。お願い、私の分まで生きて」
 体重をかけると、彼女の細い首は、心地良い音を立てて折れた。

 血が滲んでいく視界の中で、私はチアキを哀れんでいた。きっと、私のような女の子を好きにならなければ、チアキだって恋した女の子を殺さなくて良かっただろうと。
 彼の流す涙は熱くて、そして、いくらでも降った。涙の流せない私に代わって、チアキの涙が私の頬を伝い、こんなに真剣な涙を私のために流してくれている、と考えただけで、私の頭は幸せな熱で満たされる。
 ごめんねと心でチアキに謝って、いつでもチアキの方が片思いだったね、と語りかける。私も好きだった、けど、チアキほど好きでいてあげられなくてごめんね。私は、チアキよりも自分の方が好きだったみたい。
 最期の瞬間、私は自分の骨の折れる音を聞いた。
 はずだった。
 目覚めると、私は草の生い茂ったグラウンドにいて、隣にはチアキが眠っていた。
 呆けたように口を開けて眠るチアキに、無性に腹が立ち、鼻をつまむ。
 五十、六十と数えても、起きる気配のないチアキに、死んでしまったのではないか、という疑問が浮かぶ。
 どうして、私が生きてて、チアキが死んでるの? 苛立ち半分、せつなさ半分で呟くと、ふごと鳴いて、チアキが飛び起きた。チアキの寝惚け眼が私を認識する前に、その鼻っ面に拳を叩きこむ。チアキはよけようともせず、私の拳を正面から受け止めて、無防備に後ろに倒れた。
「チアキ、目が覚めた?」
 チアキの上に馬乗りになって、その鼻血まみれの顔を拝見する。目をぱちくりさせているけれど、どうも状況は飲み込めているらしかった。
 とりあえず、一番初めに思ったことをぶつける。
「バカ! 死んだかと思うでしょ!」
「……良かった。元気そうで」
 もう一発、殴ってやろうか。と思ったけど、まともに話せなくなると困るから、やめておく。
「私は、殺してって言ったの!」
「だから、ぼくが生き返らせた」
 と言って、チアキは右手を差し出した。そこには、コイン大の痕がある。
「アニマから、魔法をもらったんだ」
「だから! 私は――」
「――でも、私の分まで生きてって言ったろ」
 チアキの真剣な眼差しに、不覚にもドキッとする。
「言った、けど……」
「茉莉だって、本当は死にたくないんだ」
 心の中で、天邪鬼な私が首を振った。そんなはずないって。でも、はっきりチアキの目を見て言えることがある。私はいつだって素直じゃない。
 東京へ出てくるとチアキに告げた時も、本当はチアキに引き留めてほしかった。あるいは、喜んでほしかった。私は、チアキに何か言葉をかけてもらうのを待っていたんだ。それなのに、私はわざとチアキの傷付く言葉を使ったりして、ろくに挨拶もしないまま、こっちへ来てしまった。
 だから、今の言葉は、涙が出るほどうれしい。私にとって、それは死にたくなるくらい、と褒めるより、もっと強い意味で、うれしい。
「チアキ、ありがとう」
 さあ、これがエンディングだ、と顔を寄せようとすると、また、あの地響きが近付いてきた。
「あのロボット、まだ止まらないの?」
 顔を上げ、随分と近くにいるロボットに愚痴をこぼす。
「茉莉、コクピットの所」
「コクピットって、どこ?」
「胸の、心臓の辺り」
 ぐーっと目を細めると、
「お父さん?」
 ロボットの心臓の辺りは丸いガラスで覆われていて、そこでは、どうやらお父さんが操縦桿を握っていた。
 おーいと手を振ると、向こうも気付いたらしく、手を振り返してきた。ロボットで。
「茉莉、助けてくれ! 止められないんだ!」
 私とチアキは顔を見合わせて、呆れる。
「どうする、チアキ」
「さあね、どうすればいい?」
 ドラゴンの下敷きになって、死んだと思ったら、次は暴走ロボットの相手って、それ、どんな罰ゲーム?
 でも。
 世界は、朝日で満ちている。私が今ここで選ばれたということは、アニマが私を選んだように、いくつもの死体の上にあることだ。体育館に並んだ、私と一緒に死んだ魂たちは、私を恨む権利があるだろう。
 けれど、私は生き返ってしまった。だから、私は言うんだ。
 世界は、朝日で満ちている。


 あとがき
 分かる人には分かるはずな元ネタは、ドラッグオンドラグーンの東京エンド。あそこまでプレイしたことないんですけどね。理想としては自衛隊とか出して、シンゴジラみたいにしたかったけど、書けるわけないので、疑似セカイ系みたいな、訳の分からない形になってますね。
 創作メモとか、恥ずかしいくらいに大上段に構えていて、微笑ましいったらないですね(爆)。記憶が正しければ、最初に思いついてから、二年くらい書き損じてましたからね。
 まあ、そんな感じです。

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