日記 12月13日
もはや書き続けることが目的化した日記、始めます。
面白いですね。文芸にも色々な種類がありますけれど、書くことそのものが目的の文芸というのは、日記だけではないでしょうか。小説や詩などは人に読ませるという副目的がありますが、日記というのはその字の通り、日々起きたことを記しておくことで、読ませることは想定していない。人に日記を読ませるのなんて、狂気の沙汰ですね(棚に上げる)。あるいは、インターネット網が発達した社会に生きる現代人だけが、そういう性質を持つように思います。
さて、以上のことは話の枕とでも申しましょう。実は、今日は日記のテーマがあります。昨日、ツイッターのスペースで聞いた話です。スペース主の方は、漫画や一枚絵で二次創作をしている方で、キャラクターが「見える」とそれを描くというやり方で創作をしているとのことでした。その状態をスペース主さんは「イマジナリーフレンド」と表現していて、そういう創作法が一般的なのかを、気にしているようでした。自分はリスナーとして参加しており、まさかスペースに飛び込んで、ハヤクチキモオタク(Mane oris Nerd)と化してまで、以下の内容を話そうとは思わなかったのですが、自己満足として書いていこうと思います。
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結論から言うと、スペース主さんと同じような創作をする方というのは、多数派だと思います。特に、物語作家さんに多い。現実とは別の世界が見えていて、それをひたすらに書き写していく、物語自動筆記タイプライターを自称する人もいます。
自分が思いつく限りは、ハリウッドの脚本術に代表されるような理論派の人や、キャラと状況をパラメータ的に操作する関数派の創作法を採っている人が多いのではないかなと思います。
脚本術は、世界中の昔話や神話を集めて分析した、物語構造や類型を利用したもので、より普遍的に、より一般的に物語を書けるような手法です。究極的には、問いに答えるだけで物語が出来ていく。主人公にはどんな欠落があり、どのようにしてその欠落を埋めるのか。
例えば、妻と子に逃げられた男性が、家族の愛を取り戻す話。
例えば、コンプレックスを抱えた子供が、冒険を通じて、成長する話。
この手法の特徴は、物語を一行で表せることです。言い換えると、物語を全体から作り出していく方法だということだと思います。
関数派というのは、自分が勝手に名付けたものです。よく二次創作で、「キスしないと出られない部屋」というのがありますが、それは関数派の手法の最たるものかな、と思います。キャラ(人間)を設定して、状況(シチュエーション)に放り込む。
二十世紀文学は、人間の可能性を追求する作品が一つの流れをなしています。ここでいう可能性というのは、人間のあり得た可能性を追求していくというような方向です。その方向性は先鋭化していって、極限状態としての戦争の中に、人間を投げ込んで、人は善を成し得るのか、あるいは、人間は悪であるのかを考え続けました。
上記の「キスしないと出られない部屋」はその意味で、関数的手法の末裔だと思いますし、お題箱というのは、より普遍的な形での関数的手法の徹底何だと思います。
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ちょっと眠たくって、自分でも何を書いているのか分からなくなってきました。スペース主さんは自分が一方的にフォローしているだけなので、これが届く可能性はほぼゼロに近いので、いいのですけど。それに、スペース主さんが何に悩んでいるのかもよく知らないので。
日記のネタとして、都合よく、使わせてもらいました。
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小説の進捗は、皆無です。
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