掌編 「トリーネ・リィーシャ」
南洋の街に、女性飛空士だけの部隊が存在する。トリーネ・リィーシャはその部隊のエースで、花形であった。撃墜数は二十八、都市は十四の頃から飛び始め、飛行時間は帝国内でも最長、色素の薄い肌にブラウンの瞳と髪。肩まで伸ばした髪は、同室のリコが切り揃える。
元来、飛ぶことにしか興味のない彼女は、休暇を最も嫌うため、持て余した時間は読書か、リコに付き合って、暇を潰した。だからトリーネは、リコに好きに髪を切らせたし、果てはメイクまで任せ、地上にいる限り、リコのおもちゃであることを甘んじて受け入れた。
また、彼女が地上では眼鏡を掛けているのも、リコのアイデアで、当然、伊達眼鏡だが、読書を好むトリーネへのリコなりの愛情だった。人を避け、木陰や窓際で一人、書に視線を落とすトリーネがその広い視野故に、読書へ邪魔が入らないように、という配慮なのだった。
そんなトリーネが休暇でも欠かさないことがある。日に三時間ほど、トリーネは空を見つめる。彼女の憧れるパイロットが、昼でも星を見つけることができたという逸話を、彼女は無邪気に信じているのだ。
視力を鍛えるため、トリーネは地平線から順に視線を映し、実戦と同じように索敵をする。一点に注視することを避け、しきりに焦点を移しては、視界に変化があるように心がける。そうすることで、真っ青な空の中でいち早く、敵機を見つけることができる。そして、彼女は太陽にまで目を向け、眩しさに目を慣らす練習を怠らない。あくまでも、彼女の人生は空を飛ぶためのものだった。
地上で起こること全てに不精なトリーネだったが、出撃の前日には、必ず身の回りの物を片付けた。勿論、遺書は机の引き出しに入っていたし、脱ぎ散らした服はアイロンをかけ、クローゼットにしまった。
元々、世話好きで几帳面なリコが部屋を清潔に保っているが、その日だけは、まるで入居したての頃のように、まっさらな部屋に戻った。
また、無口で人嫌いでも、最後の晩餐では仲間と言葉少なではあっても、会話を楽しみ、ワインを一杯だけ飲んだ。
「リコ、このまま真っ直ぐ、星を辿れ。後ろには私が付いている。安心して、舵を取るんだ」
星のよく見える夜、トリーネ機は消息を絶った。最後の通信はリコが受け取り、彼女がトリーネの不在に気付いたのは、基地の灯りを目視した時点だったため、救出は難航した。
結局、リコの示した航路には墜落の痕跡もなく、何も見つけられないまま、トリーネはロストの扱いとなった。
地上へ帰り付いたリコは右目を失い、飛行機を降りた。
トリーネ・リィーシャの名前は、彼女が出版した「飛空士の日々」に紹介されている。
彼女の遺書には、ただ一言。
「花を一つ、それ以外は望まない」
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