掌編 「少女のはじまり」
山田さんと小川さんは付き合っている。
朝練に向かう途中、教室に忘れたシューズを取りに行った時のことだった。
物静かな、空気が丸ごと凍ってしまったような、冬の朝の教室で、二人はまじまじと互いのことを見つめていた。
彼女たちの吐く息が白く凍えて、朝日にきらきらと反射した。薄曇りの朝、雪が降るんじゃないかっていうくらい寒くて、触ると壊れてしまう、氷のガラスのような雰囲気だった。
二人は、廊下を歩くボクの足音が聞こえなかったんだろうか?
小さな声で、二人は何かを囁き合っているみたいだった。声は互いにしか聞こえないささやかさで、冷たい校舎に響いた。
ふと、小川さんの丸い後頭部が揺れ、山田さんが、ふふっと笑った。
山田さんは、ボクをしっかりと視界に捉えて、目を細めた。
そして、目を逸らないまま、山田さんは小川さんの頭をかかえて、果物の果汁を啜るみたいにキスをした。山田さんの指に真っ白な筋が浮いて、爪が食い込みそうな角度で、小川さんの頭を捕まえる。はらはらと、山田さんの指から逃れた黒髪が、彼女の指を、清流に墨を流したような、綺麗な流れの中に埋もれさせていく。
ボクは、心臓をばくばく鳴らしながら、二人のキスを前に動けなくなっていた。二人に、ボクの鼓動が聞こえていたら、恥ずかしいな、なんて少し的外れなことを思いながら、多分、顔を真っ赤にしていた。
唇と唇が離れて、水音がした。
chu,とまだしゃべり慣れてない子どもが言うような、舌足らずな音だった。
ボクはその音を聞いて、弾かれたように、教室から離れた。
その日は、朝練をすっぽかしたことを、こっぴどく叱られた。
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