日記 12月19日
今日は兄がイカをもらってきました。釣りたてで、身が甘く、とても美味しかったです。イカというと春のイメージだったのですが、歳時記を引いたら、夏の季語とのことでした。イカの白い身(生きているうちは褐色がかってますけど)と海の青さが、何だかいいなあ、と思いました。
それと、ミリオンライブの真壁瑞希のソロを聞きました。「ゆえに…なんです」いい曲ですね。「トレフル・ド・ノエル」の瑞希ソロもそうなのですが、瑞希が「君」とか「あなた」と歌っていると、その相手が紗代子のような気がしてしまいます。
何でも「みずさよ」にしてしまう病気(?)にかかりました。二次創作が浮かんできてるのですけど、書く余裕がありません。紗代子の誕生日に何か書きたいです。いま、書いている小説が終われば、書けるかなあ?
昨日から三宅香帆さんの「女の子の謎を解く」を読んでいます。第一部を読み終えたところです。「推し、燃ゆ」や「映像研」の読みがとても面白かったです。ただ、三宅香帆さんに対して個人的に興味があるのは(西崎憲さんも含まれたりするんですけど)、本に対する無償の奉仕者(無償と感じるのは、報酬・印税のことではなく、本という概念をいくら愛しても、概念であるため、その愛が返ってくることはないという意味です)とでもいうような態度です。「女の子の謎を解く」に限らず、三宅香帆さんの本は、紹介する本や、書かれている評の原典を詳しく記載して、異なる本への導線を確保しているのが、とても丁寧だなと思います。それは一読者としてうれしい限りなのですけれど、そういう丁寧な態度が、どこから来るのかが、とても気になります。
自分は小説は書くけれど、あまり書籍・活字にはフェティシズムを感じません(稀覯本・初版本など)。本という、より一般的な概念に対しても、同様です。小説を書くという行為や、読書をするという行為への楽しさがあるだけで、本に対して、畏敬や崇拝の念を感じたりすることはありません。
もちろん、作家の方たちが全員、そうではないでしょう。けれど、逆にそれを感じて、本にかかわる仕事をしている人たちに、その辺りのことを書いてほしいなと思う気持ちがあります(「文芸ピープル」に登場していた翻訳家や、文芸エージェントの方たちにも同じようなことを思いました)。
と勝手な願望を書いた辺りで、今日は終わりです。また明日。
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