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家族のカタチ

我が家はただ今別居中につき
旦那 兼 父親不在の状態が続いております

両親が揃っている
いわゆる普通の家庭からすると
私たちはマイノリティ

夫婦が一緒に居ること
両親が揃っていること
家族みんなが一つ屋根の下で暮らしていること
あまりにも当たり前すぎて
それが”普通”という意識すらなかった

でもある日突然に少数派となり
最初は恐怖や羞恥心
虚しさや悲壮感でいっぱいでした

「子どもが気の毒だ」みたいなことは
何度となく言われてきたし
私もそういう罪悪感や旦那に対する怒りを
どのように消化すればいいのか全く分からず
「底辺だ~」って言いながら
ゾンビの様に その日その日を
なんとかかんとか生き延びてきました

そんな中でも徐々に
私は私の自分軸を取り戻しはじめ
さほど周りからの目も
気にならなくなり
少数派でありながらも その快適さを
堪能できるまでには回復してきました


二個前にも書いたけれど
やっぱり良いも悪いもないんですよね
少数派だから”かわいそう”だとか
憐みの目で見られがちですけど
そうなってみないとわからないこと
その視点に立ってみないと
見えてこないことって
どんな状況であってもあるもので

今となっては
完全に別居婚推奨派です

「こ~んなにも楽になれるとは!!」
と早々に気づいたんですよね

もちろん
一人でこなさなきゃいけないことは
倍増しました
でも洗い物 洗濯物
用意しなければいけないごはんや
おかずの量は確実に減ったし
献立もテキトーでいい
(食事からの栄養は
給食で補ってもらうスタイルなので)
逆に 誰にも 何にも気を遣わず
ダラダラとお気楽に過ごせる時間が増えた!
こうやってパソコンに向える時間も…♡

あと一番に推せるポイントは
無駄にイライラしなくて済むという点
それをぶつけたりぶつけられたり
することがなくなったことにより
お互いの精神衛生面も安定してきました

きっと旦那さんにとっても同じように
良かったと思える点は
いくつもあったことでしょう
だからこそ今も
このカタチが続いているわけで…

お互いが楽になって
心の余裕ができることによって
もっとおおらかに
相対することができるのであれば
安定した関係性を
築いていくことができるのであれば
夫婦のカタチについては
あまりこだわらなくてもよいのでは?
と思うようになってきたのです


自分の中の”べきねば”を手放して
望むことは相手とちゃんと擦り合わせて
お互いにとってベストな形を
探っていけばいい
夫婦のカタチ 家族のカタチだって
その時その時で フレキシブルに
変えていったっていい
必ずしも「こうでなければ!」
なんてことはないと思うんです

ただその境地に至るまでには

柔軟に 臨機応変に
向き合っていける心の余裕と
パートナーとの共通理解や信頼関係が
必要不可欠で…

いや そこがいっちゃんムズいんやって!
って感じなんですけどね…

まぁそこは
自分だけでなく相手にとっても
大きなチャレンジであり
大いに人として成長できるチャンスなんだと
前向きに捉えています

昨日今日で何とかなるものではないし
少し時間はかかるかもしれないですけどね


誰も犠牲にしない
もちろん自分も犠牲にならない
そんな夫婦のカタチ
家族のカタチを もう一度 彼と
再構築していきたい

「修復」とか「復縁」とかっていうと
なんだか
前のカタチに戻るみたいな感じがして
しっくりこないんですよね

私はもう戻りたくはないんです
かつての傲慢で依存的で支配的な自分には
もう戻りたくはない
だからこその『再構築

人として 夫婦として 子どもたちの親として
素敵にリニューアルした私たちで
もう一度出会い直したい
一からまた積み上げていきたい
そう思うんですよね

我が家のリニューアルオープンは
いつになるのやら
今はまだわからないですけど
必ずそれが果たされる時は来ると
私は信じています

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