言葉の女装、「マスオ、腹減った」とは言わないサザエさん
ここ最近寝る前に酒井順子「男尊女子」を読み進めていて、印象に残った章「言葉の女装」。
詰まるところ女性は男性に「自分はあなたにとって無害で、少し下の位置にいます」と言うのを示すのが女性らしい言葉遣いである、と言う話。
そして新しい世代になるにつれ、言葉のユニセックス化は進んで、彼女が彼氏に「翔悟!腹減ったー」と言い、彼氏がハイハイとインスタントラーメンを作る、なんて光景が見られるようになった、という話だ。
言葉の女装、言い得て妙である。確かに子どもの時に好きな漫画のキャラクターを真似して「〜だぜ!」と言われて怒られた覚えがある。男子は怒られてなかった。
母に対して「オカン、メシ」と言っていいのは父と兄だけで、まぁその言い方も「メシがなんねっ?!」と怒られるわけだが、私が言えば「あんたその言葉遣いなに!女の子がメシとか言わんよ!」に変わった。
「男尊女子」の中にはこんな話もあった。サザエさん一家のフネさんは波平さんに対し敬語で話すが、サザエさんはマスオさんに対し敬語ではない。だが、サザエさんが「マスオさん」と呼びかけるのに対してマスオさんは「サザエ」と呼び捨てで呼ぶ。世代間で差はあれど、わずかに見える夫婦間の上下関係。
私たちの世代はどうだろうか?
私たちは対等な男女関係を持てているだろうか?
こう書くと、まあ皆さん国語の時に習いましたよね、逆説。「いや、ない。」と続きますね。
私は高校生くらいから本当に言葉遣いに気をつけるようになった。どうやら女の子らしい話し方をしないと色々言われるらしいと気づいたからだ。
男性の方もそうで、男性が柔らかな話し方をしていると何かしらを言われる地域にいた。兄は東京に出て標準語を身につけてきたが、父から「お前女みたいな喋り方をするな」と怒られていた。
父。そう、うちの父は前近代を体現したような人だった。前の記事にも悪口書いたけど。
今も「男性が働き女性は子育て。それが社会のあり方として良いのだ」と主張する人がいるが、そうは思わない。うちはまさにそうだったけど、母はいつも潰れそうで、家族の誰もが誰も幸せそうではなかった。
その姿を目に焼き付けて、私は日本以外を選択したのだった。
(ちなみにその母は今、進撃の母となり、父に向かって「あんた自分でしな」「あんた何様よ」と吐き捨てるまでになった)
今は日本語を使わないから、お腹が空いたら「I'm hungry」と言えばいい。そこに「腹減った〜!」「お腹すいた〜!」「お腹すいちゃったかも」「腹へらね?」「お腹ペコペコ〜」「我は空腹である」「お腹と背中がくっつきそう」なんて言葉の選択の余地はない。とても楽だ。いつでも迷わずハングリー。
言葉は人を作る。言葉は関係を作る。
私は、サザエさんにも「マスオ〜!お腹すいた〜!」って言ってほしい。んで、マスオさんには何か簡単なものを作るか、「今日は外食しちゃうか〜!」って外に食べに行ったりしてほしい。
でもそれを押し付けるのも違う。あれはあの時代で、あの考え方で幸せなのだからそれでいい。
私だってちょっと憧れている。男尊したい。男子に全部やってもらって楽したい。それは自分が差別側に回るということ。でもそんなやわな生き方したくない、ああ苦しい。
多分今は、そんな考えの狭間の世代なのだ。
お茶の間は多様性に溢れるものになる。きっと、私たちが思っているよりもすぐに。
男尊女子オススメです!
前時代の父の話です。
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